ブログ

夏休みに発掘調査を実施しました

考古学ゼミでは、今年の夏休みに三つの遺跡での発掘調査を実施しました。大学の近くに所在する荒神山古墳群のA支群1号墳、愛知県幸田町の青塚古墳、多賀町の一ノ瀬中世墓群です。このうち青塚古墳の発掘は、合宿生活を送りながらの調査となりました。遺跡を掘りながら古墳のさまざまな謎を追究するのはとても楽しい作業です。とはいえ連日の酷暑の中、炎天下での掘削作業は、実際のところ過酷を極めました。それでも、その暑さをなんとか乗り切って調査を完遂できたのは、生活当番の学生たちが腕を振るってつくってくれた毎日の食事のおかげです。そう、県大の発掘調査に参加すれば、料理のスキルまで伸びるのです(知らんけど!)。(金宇大)

【写真1】青塚古墳くびれ部の調査

【写真2】埴輪の検出作業

【写真3】宿舎での食事


この夏も、調査ざんまい

 8月初旬の佐渡(新潟県)調査を皮切りに、奈良県や神奈川県、高知県など、滋賀県内のみならず今夏も多くの調査に参加しました。
 日本近世史を専門としているので、基本的には古文書調査が主となりますが、生業や祭礼の聞き取り調査などにも従事しました。いくつかの調査では、大学院生たちが活躍してくれました。
 9月下旬から後期授業が始まりました。これからしばらく、調査は滋賀県内に限定されます。(東幸代)                                                                                                                                        
                                                                                                                                            

【写真1】佐渡での調査対象「いご草」(海藻)を使った郷土料理「いごねり」

【写真2】奈良県で古文書撮影をおこなう大学院生たち

【写真3】高知県で古文書目録を作成する大学院生


環琵琶湖文化論実習「中世から近世へ:近江地域社会の変容」(3班)

 3班は「中世から近世へ:近江地域社会の変容」をテーマとして調査・研究を進めています。

 “天下人”豊臣秀吉が初めて一国一城の主となったのは、この近江においてでした。秀吉は近江で支配者としてのノウハウを学んだのであり、豊臣政権の支配政策には、その経験が色濃く反映されています。近世社会への扉を開いた秀吉が向き合った近江地域社会のあり方を知ることは、“中世から近世へ”という日本史上の一大画期を考えるうえで不可欠なことです。

 これをふまえ8月6~8日の学外実習では、長浜市において、長浜城や賤ヶ岳古戦場など、近江国における秀吉の足跡を追うとともに、菅浦、下坂氏館跡、小谷城といった戦国時代の近江地域社会について知ることのできる場所にも足を運びました。秀吉の甥・秀次の築いた城下町として知られる八幡(近江八幡市)では、著名な「八幡堀」へと流れ込む排水路(「背割り排水」)の実測調査も行いました。

 悪天候のため一部見学を断念したところもありましたが、大変実りある実習にすることができました。          (高木純一・石川慎治)

【写真1】 賤ヶ岳古戦場から余呉湖を望む

【写真2】 菅浦の「四足門」

【写真3】 下坂氏館跡の土塁

【写真4】 背割り排水の実測調査(近江八幡)

【写真5】 楽しいBBQも