【研究分野紹介】東アジア国際関係史

中山道と朝鮮人街道の分岐点近江八幡市 朝鮮人街道彦根市 江国寺

望湖堂跡から琵琶湖を臨む今年4月から新たに「交流」分野の教員となりました木村可奈子と申します。「交流」といっても、様々な研究の切り口がありますが、わたしは歴史学の手法、つまり過去の史料をもとに、東アジアでどのような国際関係が築かれたのかを研究しています。主に対象としているのは、16-18世紀の中国、朝鮮半島、日本、琉球、タイといった地域の関係です。

移動が容易になった現代に比べ、それ以前の時代はあまり国際交流というものはなかったのではないか、と思われるかもしれません。ですが実際には、現代の我々が想像するよりも多様な国際交流が歴史上存在しました。

滋賀県も様々な国際交流の舞台となりました。朝鮮通信使が滋賀県の中山道、朝鮮人街道を通ったことはよく知られています。朝鮮通信使と比べあまり知られていませんが、琉球の謝恩使・慶賀使も中山道、東海道を通って滋賀県を通過しています。

われわれの身近にも使節の足跡がいろいろ残っています。いったいどんな交流があったのか、自分で調べてみたくありませんか?(木村可奈子)

写真1 中山道と朝鮮人街道の分岐点、野洲市行畑

写真2 近江八幡市の朝鮮人街道

写真3 通信使の写字官・金義信の書いた江國寺(彦根市)の扁額

写真4 摺針峠(彦根市)にあった茶屋・望湖堂跡から琵琶湖を眺める。望湖堂では朝鮮使節、琉球使節ともに一休みし、詩や書を書いた。