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若狭国小浜・太良荘のフィールドワーク

10月26日、東ゼミ(日本近世史)・高木ゼミ(日本中世史)合同で学外実習に行ってきました。

 

午前中には小浜の町並みを巡検しました。何気ない道の傾斜や道幅の違い、さらには地名に注意を向けながら歩くことで、中世以来の港町の姿を感じ取ることができました。

 

お昼に若狭のおいしいお魚をいただき、午後はまず福井県立若狭歴史博物館にて特別展「中世若狭の「まち」」を見学しました。敦賀をはじめとする若狭の都市について、豊富な絵図と古文書で学ぶことができました。なかでも明通寺・羽賀寺に残された木製の寄進札は興味深いものでした。

 

締めくくりには著名な中世荘園である太良荘の故地を見学しました。圃場整備こそされていますが、当地には中世村落の景観がよく残されています。実際に自分の足で歩いてみることで、そのスケール感をつかむことができたように思います。

 

中世・近世の村と町を同時に学ぶ貴重な機会となりました。
終日ご案内いただいた若狭歴史博物館学芸員の徳満悠さんに感謝申し上げます。(高木)

 

(写真1)小浜巡検の様子

(写真2)若狭歴史博物館にて展示見学

(写真3)太良荘故地を歩く


大垣市郷土館所蔵朝鮮軕資料の調査

交流系プレゼミの学生と民俗学が御専門の市川秀之先生とともに、大垣市郷土館が所蔵する朝鮮軕(やま)関係資料を調査させていただきました。

 

朝鮮通信使が滋賀県を通過したことは県内では知られていますが、彦根を発った通信使が次に宿泊するのは大垣でした。華やかな異国の使節の行列は大垣の人々の関心も集め、江戸時代から行われている大垣祭では竹島町が朝鮮通信使行列を模した練り物を行っていました。明治になってから廃止されたこの軕の関係品は、現在大垣市郷土館に寄託されています。

 

今回は関連資料を計測・撮影させていただきました。学生にとってはこのような調査は初めてで、貴重な経験となりました。朝鮮通信使関連の展覧会などで紹介されよく知られている本資料ですが、現物や残された絵画資料を見、通信使の行列に対する当時の人々の関心の高さを改めて実感できました。貴重な調査の機会をくださりました大垣市郷土館早野館長に御礼申し上げます。
調査後には全昌寺(通信使三使の宿泊場所)や大垣宿本陣、朝鮮軕を出していた竹島町をめぐりました。(木村)

 

(写真1)朝鮮山車関係資料を計測

(写真2)竹島町榊軕軕蔵。朝鮮軕が廃止されたのち、榊軕となった。


岐阜県可児市美濃金山城跡の発掘調査

ここ数年、新型コロナのためずっと延期されていた岐阜県可児市での美濃金山城跡発掘調査を、この夏休みようやく実施できました。今回の調査では、お城の天守台にかつて存在していた天守や本丸御殿といった各建物と、天守台の入り口の部分(虎口)とがどのように接続していたのか、そこに門があったのかなかったのか、といったことなどを確認する発掘をおこないました。

 

実際の調査に際しては、可児市文化財課との連携のもと、滋賀県立大学考古学ゼミの学生たちが主体となり、「知りたい情報を得るためには、どのような手順で掘っていかないといけないか」を自分たちで考えながら、作業を進めました。発掘調査は一度進めてしまうと、もう元通りには戻せない「一度きりの実験」だといわれます。慎重かつ大胆に、常に思考を止めず緊張感をもって掘削と記録にあたりました。

 

貴重な学習の機会をいただいた可児市のみなさまに感謝申し上げます。(文責:金宇大)

 

主郭調査区での遺構検出

 

発掘調査の現地説明会の様子