地蔵盆の思い出

京都や滋賀で盛んに行われる夏の行事が地蔵盆です。娯楽の少なかった昔でも、この日ばかりは子どもたちが主役、大いに楽しんだようです。宇野さんが7才当時(明治30年代、いまから120年ほども前)の地蔵盆のようすを、俳句の名調子とともにありありと語ってくださいました。どうぞお聞きください。


やあ、まあ、いよいよ明日から地蔵盆だ。夜空を眺めて「一番星(ほうし)見つけた。明日は天気になあれ」。子どもの一念が天に通じたものでしょう。8月の22日はお天気であったと思います。朝早くから地蔵盆の飾りつけの釣り行灯、麻糸につるした無数の日の丸、岐阜提灯、南無地蔵大菩薩と書いた旗、それから黒盆に盛った落雁、紅白の雑菓子、スイカに茄子、まくわに瓜、ナンバ……それはところどころ狭く並べ、それはそれは忙しかった。またその忙しさは格別でしたね。やれやれ出来上がった、と思って一息をついたら、どこからとなくアリの群れがやってきてね。油断大敵だ。こまめにアリ追いで、これまた忙しい。ちょっと俳句一句やってみしょう……

アリあがる 地蔵菩薩の途上まで

夕日が落ちた。お地蔵さんには一番に燈明、次に提灯、行灯にろうそくで、あかしをつけ、町民の広場で、肥松(松の小さな枝、樹脂の多い松の割り木)をどんどんと焚いたものです。

お盆中は連日連夜踊りに明け暮れましたな。またここで一句でましたわ。

盆踊り きくや木々の間 風のすき

どこかの村から賑やかな盆踊りのはやし声が漏れてくる。浴衣に草履ばき、うちわと手ぬぐいを腰に差し、踊り見物によくいったもんだ。わたくしの子ども時分は電灯はなく、高張提灯に大きなろうそくをとぼしてね、踊り場を活気づけた。きょうふう会(蚊野の神社の若衆会の名称)のおじさんたちが、手に手に弓張り提灯を途上高くかざして警護に懸命でしたな。そのおじさんのいかめしい姿が、まだ目の前に見えますよ。

スズメ百まで踊り忘れんとやら。踊る阿呆なら見る阿呆や。同じ阿呆なら踊らにゃ損じゃ。

知らぬ間に 踊りの渦の中にいる


アーカイヴズNo. 165A
番組名:ふるさと談話室「地蔵盆の思い出」
語り手:宇野さん(蚊野)
放送日:1980年8月15日