太鼓づくりの名人

彦根三十五万石も近い村。武士たちが登城する朝、厳かに打ち鳴らされていた太鼓。神社の儀式や折々の祭りで祈りを込めて打たれた太鼓。昔の人々の日常に欠かせなかった響きを生み出していたのは、ここ長塚村の名工だったようです。素材を求めての旅のようすや太鼓づくりの音までも聞こえてきそうなお話をうかがってみましょう。

江州長塚村の太鼓、いまから120年前まで栄えていたと、記録にのこっております。長塚村では北沢家と西川家の二軒が太鼓屋として栄えていました。北沢家は、いまのの北の方。西川家は、かしわ屋の前あたりから西川りょういちさん宅の土地にあったと記録にのこっております。いずれも太鼓屋一党は彦根藩の厚い保護のために全盛を誇っていた江戸時代です。しかもこの太鼓は美濃、信州、山城、摂津、河内の国々までも知られているのであります。

この家に働いていた、磯七(?)という若い大工が、いつも美濃の方へ行って太鼓の胴を作ることがあった。そして、仕事熱心で、北沢家の娘を嫁にもらった、といわれています。太鼓の胴を作るのには木目の美しい欅が必要です。その、木目の美しい欅を木曽川上流の方まで単身行って、この木を買いにいかれたということです。いま、岐阜県の本巣郡真正町真桑という部落がございます。揖斐川のほとりにございます。このあたりでも、磯七さんの仕事をしておられたこと、真桑の老人の方が知っておられました。この真桑の老人の人は、このようにお話をしておられました。真桑の老人のおじいさんからの話をいまでも耳にしているということです。

磯七さんはこのあたりまで来ておられて、山小屋を建てて良い欅を見つけると適当な寸法に横切りして中央を(真ん中ですね)これをくりぬいていた、と。それを木曽川へ流すということですね。こういう仕事をしておられたようです。そして磯七さんは大変学問家で、歌も大変上手である、ということも聞いているということです。特に知っておられるのは

奥山の 羽生の小屋にわれひとり こころ寂しきみみがねの音

羽生の小屋というのは草ぶきの小屋、みみがねの音というのはノミの音、ゲンノウの音ということですね。このおじいさんはよく知っておられますのでびっくりいたしました。長塚においてはこの歌を語り継がれてきたそうでありますけれども、それを覚えているものはいなくなっております。大変恥ずかしいことだと思いました。その他に、長塚に作られた太鼓が、その付近にあるということでありますが、時間がありませんので省略さしていただきますけれども、わたくしたち長塚には、こんないい歴史があるんだなぁということ、つくづく嬉しく思ったわけでございます。なお秦荘町のみなさんにおいても、わたしたちの住むふるさとについて、もっともっと誇りをもたないといけないなぁ、と思っております。

アーカイヴズNo. 221
番組名:話の広場「江州長塚村の太鼓」
語り手:藤岡明信さん(長塚)
放送日:1984年10月9日