明治・大正期の見世物、覗きからくり。「覗き節」は、レンズ越しに覗きからくりのおどろおどろしい絵を見ながらきく、怖くて不思議な物語。それは香具師が各地に広めた流行歌でもありました。
戦前には全国あちこちの境内などで「のぞきからくり」の見世物がありました。これは、いくつものレンズを備えた巨大な箱状のものに、子供たちがとりついて、交替するおどろおどろしい絵を覗くという見世物で、箱の横では、香具師が「覗き節」(からくり節)と呼ばれる語りを述べて絵を説明しました。
お金のない子どもも、竹の棒を叩きながら調子よく唄われる覗き節をそばで聞き覚え、口ずさめるほどになります。落語「くしゃみ講釈」の中には、物覚えの悪い男が「八百屋お七」のからくり節に乗せて買い物の内容を覚えるというくだりが残っており、全盛期の覗き節がいかに人びとの間に広まっていたかを伺わせます。

今回の録音は、明治22生まれの古老による赤穂浪士の「覗き節」。これは、覗きからくりの基本資料である河本正義 (1935/1993) 『覗き眼鏡の口上歌』にもないもので、記憶に基づくものとはいえ、音声とともに残されているのはたいへん珍しいものです。語り手がかつて多賀神社や愛知川などで覗き節が見られたことを証言していること、こうした覗き節が、語り手のようにそれを子供時代に享受していた人によって克明に記憶されている点も貴重です。ではどうぞ。
(忠臣蔵の覗き節:3分4秒)
ころは元禄十四年
しゅがや宵のなかばごろ
七重八重咲く九重の
花の都の空よりも
勅使が幕府にご到着
さてもその日のまかなえやくが
たくみのかみ
ししょうはばんたる上野(こうづけ)に
まかないそできんなきために
あれやこれやの手違いを
受けてこうむる身の恥辱
おのれやれとははられども
殿中でやいばを抜いたなら
家は断絶
身は切腹
死するこの身は厭わねど
残る家中が不憫ぞと
こらえこらえた十四日
こともあろうが、松の廊下のいりぐちで
いぬざむらいだの人非人ぬすびととののしられ
もうこれまでの堪忍袋の緒が切れて
まいはんにたばさんだ小さな刀がみつかり
はってまってとはっと切り込む太刀先が
額の金輪にじゃまとなり
無念や本懐遂げられず
たむら屋敷にあずけられ
無念の最期あそばずばかり
家来四十と七人は
怨みはあつごの雪の夜に
吉良の屋敷に乱入し
主君のカタキ
上野の首討ち取って
これに○○か
無事に泉岳寺にとあずけられ
四十七人、そろうて切腹なされ
武人の鏡いつまでも
泉岳寺にて線香(せんこ)のたえまなく
武勇残るは
誉れは高輪泉岳寺
おそまつでございました。
語りと唄:明治22年生まれの古老の方
放送日:1973年1月「丑年生まれをたずねて」
文責:細馬宏通
(2016.6.29 掲載)