豆腐づくり64年

昭和の初めから豆腐を作ってこられた、秦荘の豆腐屋さんの来し方のこと。配達がてら自転車で意外に遠くまで出かけられます。


(音声:1分47秒)

(水音)

ここが一番大事なとこよ。あの、おからと正味とを、こう分けんなんでな。ほんで、ここへおからが入るとカスが残りよるのや。ほて、下へ落ちよる水が、ニガリ打って固まって豆腐になりよる。ここがちょっと一番大事なとこやな。

—-昔ながらの伝統を守り、いまも豆腐作りをしているのは秦荘町目加田の小川米蔵さん84歳です。

うっかりすると火傷するしな。手ぇかかるさかい。

—-小川さんが豆腐作りを始めたのは20歳のときです。

わたしが20歳のときにお父さんがやってはったのをな、いろんなまた商売せんならんのやから、おまえ豆腐やれと、いわはったので。わたしは二年ほどかかって習うてな。ほてやりあげたんすわ。前はあの、豆腐屋というのをせいでも仕事もあったし、ほて、みな都会へ憧れていかはるで、田舎で豆腐屋するっちゅうのは、まぁ古い方やったでな。わたしぐらいのもんやったんや。いろんなことがあったさかい、なんやな、苦労しましたわ。

————-(音声はここまで)

—-すべてが手作業の当時は、朝5時から作業場に入りましたが、一部機械を取り入れた今では、朝7時に起き、前の日に水につけた大豆を潰すことからはじめます。64年間豆腐作りを続けてこられたのは、お客さんの「おいしい」という一言が励ましになりました。

ずーと変わらんと、何十年てこやって、おんなじことをさせてもらえるでな、喜んでますねん、わたしは。ほて、みなはんもやっぱり「おっさんの作った田舎くさいこの豆腐が良い」ちゅうてな、みな贔屓にしてくれはるで、毎日喜んでやらしてもうてんねや。豆腐の味を知ってくれてはる人はみなほう言うてくれはるのよ。「おっさん、昔流でやってくれてはるで、ほんまの豆腐の味がする」ちゅうてな。やっぱり豆腐食べてくれてはる人はよう知ってはるでな。

—-小川さんは一年のうち、豆腐作りを休むのはほんの数日。いままで病気で寝込んだこともありません。

この隣のお医者さんがいわはるのには「おっさんは、毎日豆をつこて、豆の湯気を吸うてるさかいに、ほれも健康の一つやぞ」いうてはるんや。わしも感じると、やっぱりこういう豆の成分がな、毎日かざがいてもうてますで、ほんで健康やなちゅうこと、ようわかります。まぁ、こないになってからわかるようになってきたんや。

—-大豆を潰してから豆腐が出来上がるまで、およそ2時間。工程の中でニガリを入れる作業が、もっとも難しいと話す小川さん。経験と勘が必要なだけに、はじめの頃は失敗もありました。

固まらずじまいというのがあってな、ほんま苦労しましたわ。ほやけんど、まあ仕上げはおとうさんがまたあんばいようこうまたやり直してくれはるけんどな、、そうするとまたニガリというてよけ使わんの。最初いうてくれてはっただけでやっては固まらんで。またほんでそういうときは、もういっぺんな、やってくださってん。そんなことはまぁ、何回もなかったけんどな。ほて、豆が古いとな、美しい見えたっても、去年の豆もってきはるとな、そういう豆でよう失敗したことありますんやわ。

—-注文があると元気に配達もされる小川さんは84歳の今も自動車を運転し、ときには近くの景色を眺めにでかけます。

山の景色やとか、この、湖(うみ)の景色を眺めんのが好きでな。で、ちょいちょい松原へも行ったり柳川へも行ったり。まぁ山は金剛輪寺やとか横山へも行くと、こっち方面をザーっと見えるけんどな。ほら、ええ景色やわ。やっぱり、湖、山を眺めてみると、景色を眺めて静かにこやってるとな、いろんなことが思い…昔のことやらな。ずぅっとテレビで見て、時代の流れを見てることやら思い出やからと、こう眺めてると、ええわ。なんともいえん、心が静まってきよるな。
(金属音)

これで20丁出来上がりや。したてを食べるとおいしいけどな。

—-小川米蔵さんは、これからも続けられる限り、豆腐作りに専念したいと笑顔で話します。


アーカイヴズNo. 420
番組名:録音だより 「豆腐づくり64年」 目加田 小川米蔵さん
放送日:平成3年3月19日

*注:柳川、松原は彦根市。横山は東近江市日野川沿い。