薪割りの仕事

今でも薪ストーブのある家はありますが、薪割りを本業にしている人はほとんど居なくなりました。1979年当時でも地区の同業者は水口さん一人だったようです。これはその、薪割り仕事の貴重な記録。水口さんの近江弁も耳に楽しい。


(3分26秒)

今も薪割りの仕事を本業にしているのが、水口忠男さん、56歳です。薪割りの仕事もノコギリからチェインソーに変わり、今日も付近の山から切り出した原木を庭先に持ち帰り、小切りします。

昔は手でやって。これが1日切り倒してもたまで(まったくの意)切れませんで。割り木の50束かな。チェインソーで一回油入れて切りますとな、100束とよう切れますのや。この燃料でいけますで。30分か40分切ったら茶ぁのんで1日分の仕事が終わりますんやもん。
のこぎりやと、もう1日割ろおもたら1日斬り倒さんならんすわ。
切るのはうまいもんすわ。そのかわり割るのは昔とおんなじように斧(よき)で割ってますわ。どうもせんで、手で割らなしょうおせんわ。

三方を山に囲まれた斧磨地区は、斧を磨ぐという地名通り、昔から林業にたずさわる人が多く、水口さんもまわりにならって14歳ぐらいの時から薪割りの仕事をはじめたといいます。

(音声はここから)
わたしらのこまかい時分には、あのぅ、炊きもんと米がなかったら日暮らしがでけんような時がありました。えぇ~、14歳か15歳のときぐらいから、わすれたびで(?)働いてきたんすわ。その時分には、やっぱり、まあ棒や、棒で担いだしたもんすわ。いき杖(重い荷物を担ぐときに付く杖)と、みな短こう、二尺馬力でな、担いだしたもんす。

— まあ、そのときはもう忙しいて目が舞うほどでしたか?

そうです。ええ、ほれからずうっときて原木をそんな自動車で自分の土場(どば)へつけて、何千束て土場にどーんと原木おいて、ほいでやんのすわ。原木をこうてきて自動車で、きょうび車で、4トン車でどーんとつけてもろて。ほいで、切って、割って、配達。忙しくてまわらなんだすわ1日。

— 原木は主に雑木。付近の山では原木が足りなくて、ひと山買い占めてその材料にしたという時もあったのですが、石油やガスの進出で仕事が途絶えはじめ、地区の同業者も他の仕事に転じ、いまでは水口さん一人になってしまいました。

なかなか………自分の仕事やで、まああきらめんと根気良くさしてもろたんすわ。ええ。根気がなかったらこんな仕事できまへんですわ。腰が痛いし、ええ。あきらめるもんではできまへんわ。根気よく、やったんすわ。あの時分は百姓もせえならんでなぁ、よその会社づとめもしょうと思わなんだんす。もう自分がやっぱりこれをせえな……諦めとりました、こまかいときから、それやで。

— …という水口さん。最近では3日に一度、4日に一度という注文で廃業同然だったのですが、最近では石油不足、灯油値上げなどから、一般家庭でも自衛策のひとつとして取り上げたのか、引き合いが多くなっているとのこと。

ちかごろ、あのガスが、増えてきて、ほいて石油も増え、それで割り木がまったく売れなくなってきましたんすわ。すこしずつちょっと割り木が増えてきましたな。割り木、柴を炊かはる家がちょいちょい出て、いまのとこは出てきましたわ。ちょっと前に戻ってきたような気がしますので。まぁ仕事はちょいちょいとありますのやけんど。きてくれ、いうのはな。

あのう、ごはんでも炊いたら割り木、美味しいどすえ。えぇ。ガスやほんなもん、とっても、とっても。ごはんの味がぜんぜん違いまっせ。あんばよう炊けますで。おきで。ほいで割り木みたいなもんは、炊いといてもガスや石油みたいなんとちごてな。つっと切ったらじきに冷めてしまうでな、ガスや石油は。割り木はいつまででも、くべてたら、ほれで、いつまででもぬくおすやろ。しまいまで温おすやろ。それでみなこれ使いはりますんや、考えた人は。

(音声はここまで)

— 寸法なんかはまちまちですか?

前みたいに尺六や二尺は、もうとっても、いまの風呂場へ入りませんで、一尺あまりにして切らしてもうてます。一尺割り木で。一尺あまりどすわ。いまの風呂は入らんのですわ。ぜんぜん燃えん長いからな。


アーカイヴNo.:105
番組名:秦荘昔話 「薪割りの仕事」
語り手:水口忠男さん(斧磨 :平成元年、65歳で没)
放送日:1979年10月29日