『朝日新聞 滋賀版』中の朝鮮人学校関連記事

○1949年10月20日付記事「認可申請方を通告 朝鮮人の無認可11校に」

「文部省、法務府の指令で十九日午前八時を期し県下の朝鮮人経営の左記無認可学校十一校に認可申請の通告書を交付した、突然の通告におどろいた大津市膳所在日朝鮮人大津小学校では事情がわかりかねると出向した係員との間にゴタゴタが起つた、午後四時までに米原、安土両校をのぞいて通告書を受領した、なお堅田、三雲、八日市、醒ヶ井では交渉は出来たが受領書を提出せず通告書を学校の表口に張りつけた

朝鮮人学校所在地は大津市、滋賀郡堅田町、甲賀郡三雲村、蒲生郡八幡町、同郡安土村、同町鏡山村、同郡岡山村、神崎郡八日市町、彦根市、坂田郡米原町、同郡醒ヶ井村(児童総数は四百五十八名)で認可申請の通告によると学校が解散しない場合は通告書受領後二週間以内に各種学校としての認可申請を県にしなければならない」

○同年11月6日付記事「閉鎖命令を受領 県下の朝鮮人学校」

「県では五日午前八時を期して朝鮮人経営の学校蒲生郡八幡町、同岡山村、神崎郡八日市町、坂田郡醒井村、滋賀郡堅田町五校の各責任者は閉鎖命令で八日市校が係員との間にごたごたが起つたが正午ごろ全部同命令を受領した

 八幡、八日市、醒井の三校は認可申請をしたが認可されなかつた、財産は元朝連所有の疑いで当分保全される

なお申請した残りの六校については審査中である」

○同年11月8日付記事「さらに三校に閉鎖命令」

「県では先に朝鮮人経営の五校を閉鎖したが、さらに七日午前八時を期して大津、米原、彦根の三校に閉鎖命令書を交付した」

○同年11月29日付記事「朝鮮語は課外授業 朝鮮学童の吸収策指示」

「さきに閉鎖された朝鮮人学校児童生徒の公立学校吸収方針について県教委学校教育課では二十六日関係各市町村長に次のような基準を指令した

朝鮮語は課外授業として希望者に週四、五時間授業すること、教師は教職適格審査に合格したもの、教材は暫定的に検定教科書を翻訳したものでその他の教材には超国家主義、軍国主義的なものは避けること、朝鮮人ばかりの特別学級や、分校の設置は認められず一般学区制に従うこと」

○同年12月10日付記事「十一校全部が閉鎖 県下の朝鮮人経営学校」

「県では九日朝鮮人経営の学校蒲生郡鏡山村、安土村、甲賀郡三雲村の三校に閉鎖命令を出した、これで県下の朝鮮人経営十一校は全部閉鎖となった」

○同年12月16日付記事「“来年は優勝や”城東校に日鮮チーム」

「彦根市の朝鮮人学童教育問題は円満に解決してさる七日から五十二名が城東小学校に編入、課外の朝鮮語教授も週五回ずつ行われているがみんな仲よく勉強している、特に五年三組では今春の校内野球大会に投手の梁原久雄君と遊撃の鄭宗安君が活躍して優勝したが七月から両君が朝鮮人学校へ去ったため秋の大会には優勝を逸した、両君が帰ってきたらなァと心待ちしていた矢先、朝鮮人学校問題で二人がそろって復帰、元気な顔を見せたのでクラスチームの選手をはじめ組中が“これで来年は優勝や”と早速以前通りの日鮮チームをつくって大喜び

 朝鮮語の先生金さんも“仲よくやっているので安心です”と朗かである」

○1950年6月28日付記事「膳所ほか二校に集結 韓国人の学童問題解決」

「大津市教育委員会では韓国人学童教育問題について三月以来、同市在住韓国人代表と話合っていたが二十七日市教育長と父兄代表が調印した、その結果学童は膳所、志賀、逢坂の三小学校に集結し、一週十時間以内の韓国教育を課外科目として行い、教員は生徒二十名以上六十名まで一人とすることにした、現在の学童在校数は膳所百七十名、志賀七十二名、逢坂四十二名である」

同年11月29日付記事「朝鮮人教師の越年資金要求 彦根 教育長に要求」

「米原、醒ヶ井方面の朝鮮人百余名は二十八日早朝彦根職安付近に集り、同十一時ごろ彦根市教育委員会に押しかけ、細谷委員長に面接を求めた。

同委員長は代表者を指定したが朝鮮人側は「全部が代表者だ」と押問答となり結局、教師、父兄、学童の代表各二名を指定して面接、朝鮮人側から「教師の越年資金要求」「朝鮮人教師と日本人教師との給与差別撤廃」「教育費の二重負担撤廃」ほか二項目を要求、細谷委員長は後日回答することとなり、朝鮮人側は警官の退去命令で引揚げた。」

○同年12月26日付記事「また一名検挙 大津騒乱事件」

「大津市署では二十五日午後大津地検騒乱事件の第三次検挙を行い、湖南町朴香俊氏方逢坂小学校朝鮮語教師金宗淳(二七)を逮捕した。事件当日十数名とともに行動した確証があがったもの。」

(作成:稲継靖之)

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