2016.03.22.
亀井若菜准教授が、平成27年度の芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。
日本美術史を研究している亀井若菜准教授が、平成27年度の芸術選奨文部科学大臣賞を評論等の部門で受賞しました。この賞は、文部科学大臣より、芸術各分野において優れた業績を挙げた者、またはその業績によってその部門に新生面を開いた者に贈られます。
受賞は、亀井准教授が書いた『語りだす絵巻─「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論』(ブリュッケ、2015年6月刊)という本の成果によります。この本では、「粉河寺縁起絵巻」など中世の3つの絵巻が取り上げられます。本ではまず、それぞれの絵巻の絵の表現が丁寧に分析され、その後、絵巻の絵が、誰にどのような意味があるものとして描かれたのかということが、当時の歴史的文脈を踏まえて、詳しく論じられていきます。
定説に挑むその論述は、賞の選評にもあるように「心をときめかせつつ」読める内容となっています。
以下、亀井先生が本の内容を紹介します。
『語りだす絵巻─「粉河寺縁起絵巻」「信貴山縁起絵巻」「掃墨物語絵巻」論』の内容
第1章「粉河寺縁起絵巻」論
この絵巻では、和歌山県にある粉河寺(こかわでら)の物語が語られます。従来の説では、この絵巻は、平安時代に後白河院が作ったとされてきました。しかし後白河院という権力者を鑑賞者に想定しても、この絵巻に表現されている物語や絵の意味を読み解くことはできません。そこで後白河院説からは離れ、粉河寺領のすぐ隣に荘園を有する高野山と粉河寺が激しい領域争いをしていたときに、粉河寺が自分たちの優位を見せるために、この絵巻を作ったという仮説を立てました。そう考えると、絵巻の絵の中の様々な表現──なぜこんなモチーフがここに描かれているのだろうと疑問に思える絵の表現の意味が、整合性、一貫性をもって読み解けるようになるのです。本では、絵の細部や全体の図を豊富に示しながら、この論を展開しました。
第2章「信貴山縁起絵巻」論
卓越した表現がよく紹介されるこの絵巻は、ご存知の方も多いと思います。
この絵巻には、不思議な力を持つ一人の僧、命蓮(みょうれん)と、その姉である老齢の尼公(あまぎみ)が登場します。これまでこの絵巻については、鉢や藏を飛ばす命蓮の不思議な事跡の表現が注目されてきました。しかし本書では、女性の尼公の表現に注目します。この尼公は、一人で杖をつきながら聖なる山、信貴山(しぎさん)を目指しそこに到達します。この絵巻が作られた平安時代には、穢れを持つとされる女性は聖域には入れなかったはずであるのに、この尼公は、ほがらかな表情でやすやすと聖地である信貴山まで到達するのです。なぜ、そのような表現が可能となったのか。なぜ、そのような女性像を絵巻の中に描こうとしたのか。これらの疑問を起点とし、当時女性が置かれていた状況を踏まえ、この絵巻全体の表現の意味について考えてみました。
第3章「掃墨物語絵巻」論
南北朝~室町時代の作とされるこの絵巻では、男性に会う前にあわてて化粧をしようとした娘が、間違えて顔中に眉墨を塗ってしまい、男に逃げられ、その後出家し、母尼と遁世するという話が展開します。絵の最初には、訪ねてきた男性を前にして、しとやかに座る娘の顔全体が黒く表現されており、目を引きます。この黒い顔は、化粧を間違えたという物語の筋を見せるためだけに描かれたのでしょうか。このようなマイナスイメージの女性像が描かれる背景には、さらに深い別の意味が込められているのではないかと考えます。
中世においては、女性の体を不浄であるとする考え方がありました。この絵巻の娘の黒い顔は、そのような女性の体の不浄を想起させるものであり、その娘が顔の墨を洗い流し、美しい顔になって出家する物語には、女性を不浄とする見方に異議を唱えようとする意図があるのではないかと考えます。そう考えると、最後の場面で、男性と別れたあと、母と娘、女性二人の隠遁生活が大変楽しそうに描かれているのも、うなずけるのです。
終 章 三つの絵巻に描かれた「俗世」と「聖域」
3つの絵巻には、そのどれにおいても女性が登場し、女性は「俗世」から「聖域」へと移動し、そこで出家したり往生したりします。3つの絵巻の制作事情はまったく異なりますが、女性が「俗世」から「聖域」へ移動するという構成は共通しています。終章ではその共通点から各絵巻を見直し、それぞれの絵巻の特性を再考します。