『人類進化再考:社会生成の考古学』--類人猿の食物分配の社会進化上の意味
『人類進化再考:社会生成の考古学』(以文社1999)では、チンパンジー属(チンパンジーとボノボ)の食物分配を初期人類社会の復元に生かすには、その生態的社会的機能を明らかにするだけでは不十分であり、それに加えて、食物分配という行為を可能にする社会心理学的能力とそれが創る社会の特性を明らかにする必要があることを議論した。
このようにチンパンジー属の食物分配をとらえ返してみると、これまで考えられていた以上に、チンパンジー属の食物分配は社会学的に深い意味をもっていることが見えてくる。たとえば、食物を保持している個体の欲求の断念過程を分析的に追うことによって、欲求する自己の抑制が生じていること、欲求と分配行為の乖離から、チンパンジー・ボノボなりの自己の客観視や他者理解のありようを推測することができる。その結果は、動物心理学実験・人工言語訓練等で明らかにされてきたチンパンジー属の認知能力と整合するだけでなく、類人猿の実際の社会交渉がそうした認知力によっていることを裏付けるのである。
さらに、食物分配の交渉を追っていくと、チンパンジー・ボノボの社会ではすでに、<価値>や<所有>や<信頼>がそれなりの萌芽形態で機能していると気づくし、<欲求の断念>が食物をコミュニケーションのメディアにすることや、逆に断念が作用しない、共同性の喜びが分配と連動する<コムニタス的食物分配>といった、食物分配と一くくりできない諸相のあることが明瞭になってくる。付け加えておくと、動物界の食物分配として引き合いに出される、オオカミの全員での獲物の消費には、これらいずれの特性も認められない。
食物分配は類人猿においても、欲求する自己と他者の欲求がわかる自己との葛藤をもたらす。この<自己の二重化>は、<自我意識>にほかならない。こうして展開していくと、チンパンジーやボノボの社会が萌芽的な自己の客観視や自我意識をもった者たちが作る社会であることがわかってくるし、彼らなりの限界もクリアーになってくる。この論理の射程に、<規則の生成>や<制度の発生>が入るかどうか。私は最後の章で<言語なしの自然制度>という概念を提出しておいたが、これに関しては議論の練り直しが必要である。
もう少し論点をいくつか書き足しておこう。
ヒト以外の動物で、平和的に他個体に食物を渡す・取らせる種は多くあるが、独立個体間でそうしたことを日常的に行う種は、チンパンジー属の2種、ボノボとチンパンジーだけである。これらの類人猿の食物分配は、初期人類の食物分配や社会を復元する重要な参考資料にされ、また、チンパンジーたちの社会を特性づける行動とされてきた。これまでチンパンジーの食物分配の研究としては、母親の育児戦略との関連、高順位雄の地位保全効果、互恵性や狩猟行動での協力との関連の観点からなされ成果が上がっている。
しかしながら、食物分配自体の社会学・社会心理学上の意義に関しては、伊谷純一郎(1987)を除くと、進化人類学者の誰も関心を払ってこなかった。人間では自己のものを他者に与える能力は、自我意識や他者理解、あるいは所有概念やシンボル操作力と関連づけて議論されるし、実験室ではチンパンジーやボノボの認知能力の研究がおこなわれているにもかかわらず、類人猿の社会事象にそれらを提要しなかったのである。
私がここで提起しているのは、チンパンジーたちがどのような社会をどのようにして成立させているかを、食物分配を通じて明らかにし、そこから、人間社会の生成過程を考えると、新しいものが見えてくるということだ。
類人猿の食物分配を考える前提として、まず、食物分配と給餌行動の区別をしなければならない。この混同と食物分配の社会哲学的な検討の不在は、進化人類学・霊長類学の社会概念の貧困さを示している。類人猿の食物分配は、独立個体間にも頻繁に生じしかも<惜しみ>が見られることで、多くの動物に見られる親から子への給餌行動や求愛行動の一環としての食餌行動と区別できるし、しなければならない。<惜しみ>とは、接近個体を避ける、分配反応が遅れる、少量または質的に低いものを接近個体に取らせるといった、食物保持者の「消極的態度」を示す。これまでの類人猿の食物分配に関する研究では、食物の質と移動結果だけに注目しており、研究者は<惜しみ>には気づいていたが、それを葛藤や他者理解の兆候として考えることはなかった。そのため、類人猿の食物分配の社会学的な評価が不全で、豊かな意義を取り逃してきたのである。
<惜しみ>の行動要素を人間がしたら、私たちはその人物を<けち>とか<意地汚い>とか躊躇なく評価するだろう。それは、食物を分け与えるものと考えているからである。同じく、類人猿の食物保持者は、<惜しみながら>、<嫌々ながら>相手に一部を取らせる。私たちは、その態度に何を読みとれるだろうか?その態度は少なくとも、彼らが、食物の<価値>がわかっていること、にもかかわらず、食物への<欲求を断念>していることを同時に、明瞭に示している。私たちが言うことば通りの意味ではないが、食物と欲求が対象化されていると言ってよいことが起こっているのである。
本書の副題:社会生成の考古学とは、人間社会の形成を結果論的に言及するのではなく、人間社会の成立要件とされている事項をできるだけ具体的に、チンパンジー属社会をとりあえずのモデルにして、取り扱った社会形成論という主張である。むろん、こう宣言するには、内容がまだ未熟であることは承知している。目下、これを下敷きに<もの>と<欲求>の側から規則の生成・制度・言語の起源問題に取り組んでいる最中である。
文献:伊谷純一郎『霊長類社会の進化』平凡社1987。