玄宮園・楽々園について

 玄宮園・楽々園は彦根城の北東部に位置する。西側にある旧藩時代藩主の下屋敷が楽々園で、東側にある回遊式の庭園を玄宮園と呼ぶ。玄宮園は近江八景になぞらえられており、中の亭屋を「八景亭」と呼ぶ。

近江彦根楽々園 近江彦根楽々園
左:楽々園正面 右:玄宮園と八景亭
 

 楽々園は四代藩主直興が延宝五年(1677)に竣工し、同七年に竣成したもので、藩士松本行右衛門の造園と伝えられている。その後七代藩主直惟の代になって、享保三年(1718)倹約の趣旨により、園中玄関と台所などを取り払い縮小したが、文化十年(1813)十一代藩主直中が隠居するに際し、新館を増築して移り住み、槻御殿と称した。十二代直亮、十三代直弼も数寄屋を増設し、二階建てを築いた。
 これらの殿舎の東にみられる数寄屋を囲む広い庭が「槻のお庭」と呼ばれる今の玄宮園で、数寄屋造りの亭屋が八景亭である。

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 八景亭は明治初年(1868)、彦根の紙質商、富商の安居喜八が幕府より払い下げを受けたが、同十九年(1896)、再び井伊家が買い戻し、井伊家の所有のもとで料理旅館業に使用させた。明治三十年(1897)、楽々園八景亭の営業をまかされていた、楽々園八景亭取締役阿知波勘次郎(湖東地方の富豪)らの申し入れにより、町が引き受けることになり、同三十二年(1899)から町が一括して管理することになった。昭和九年(1934)から料理旅館として、今の営業者が営業を行なっている。
 玄宮園では毎年9月に「玄宮園で虫の音を聞く会」が開かれ、園内が優雅にライトアップされる。

関連リンク: 伝承宿「八景亭」

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