アリソン・クラーク『タッパーウエア:1950年代アメリカにおけるプラスチックの約束』

Tupperware: The Promise of Plastic in 1950s America, Smithonian Institution Press, 1999, ISBN 1-56098-827-4(cloth), 1-56098-920-3(paper)

タッパーウエアといえば、今日だれもが知っている日常的なプラスチック製品の代表といえる。しばしばモダンデザインの「名品」のひとつ、ともいわれる。評者自身も、かつてタッパーウエアについて次のような解説を書いたことがあった。

『タッパーウエア: 第二次大戦中に発達したポリエチレン製造技術をもとに、アメリカのデュポン社とともに化学者アール・タッパーが開発したのが、ポリエチレン射出成形による一連の家庭用食品容器、「タッパーウエア」である。軽く、柔らかく、丈夫で壊れにくく、特許の空気密閉蓋のついたこの製品は、食品容器としてアメリカのみならず世界中に販売され、多くの類似商品を産み、特に、普及しつつあった電気冷蔵庫の中で食品の乾燥を防ぐための容器として、ラップフィルムとともに台所の必需品となった。また、このポリエチレンの柔らかさと丈夫さ、手になじみ滑りにくい触感、淡いパステルカラーで中身の見透かせる半透明の外観など、それまでになかった新しい素材感覚を家庭用品の中にもたらした。それまでのプラスチック製品にともなっていた「イミテーション素材」・「代用素材」というイメージを払拭し、プラスチックならではの独自の機能と外観をもった製品として、その後、多くのプラスチック製品が家庭に受け入れられる素地をつくった。』(※注)

上記のような見方は、日本のデザイン関係者の間での一般的な理解ともおそらくあまりかけ離れていないだろう。しかし、本書によれば、このような理解はまったく間違いとはいえないにせよ、タッパーウエアというモノのごく限られた側面(おそらく機能主義的なデザイン理解による一側面)を表面的になぞったにすぎないことになる。では、タッパーウエアというモノの全体像をどのように捉えるべきか。著者アリソン・クラークは、発明者アール・タッパーの開発・創業から説き起こしながらも、その後の商業的成功・タッパーウエア社の発展を、タッパーウエア独特のマーケティング手法である「タッパーウエア・パーティ」に大きく焦点を当てながらたどっている。

前述の、いわば「機能主義的」側面からのタッパーウエア理解の部分、つまりアールタッパーによるポリエチレン製の食品密閉容器の開発と初期の成功までを扱った部分は、驚くべきことに、本書の前半にも満たない。モノの開発と生産に焦点を当てた既存のタイプのデザイン史記述なら、この前半だけで終わっても少しもおかしくはないだろう。しかし、本書のハイライトはむしろ、中盤から後半にかけての、「タッパーウエア・パーティ」とその発案・推進者であったブラウニー・ワイズ、そして彼女が率いていたタッパーウエア・ホームパーティ社の企業文化に考察の焦点を移してからの部分にある。

タッパーウエア・パーティとは、タッパーウエア社と販売契約を結んだ個人ディーラー(そのほとんどが女性で、「ホステス」と呼ばれる)が友人・知人を自宅でのパーティに招いて、参加者へのギフトとなる小物を配ったり、さまざまなゲームやタッパーウエアのデモンストレーションをしたりしながら商品を販売するもので、同社はこのホームパーティによる販売のノウハウを開発・指導し、ホステスたちを全国的に組織化して、やがて通常の小売りルートでの販売をやめてしまう。タッパウエアはこのホームパーティ形式でのみ販売される商品となる。軽量でコンパクトであり、それほど高価でもなく、かつそれぞれに機能的な工夫を凝らしたタッパーウエアの商品群は、ホームパーティによる販売にぴったりの商品でもあった。このホームパーティ形式の販売を主導したのがブラウニー・ワイズというカリスマ的女性だった。

本書ではタッパーが採用したホームパーティに先行するものとして、セールスマンの訪問販売による家庭用品の直販の事例にも触れながら、タッパーウエア・パーティの成功を、アメリカにおける郊外居住の広がりと、郊外で生活する中流家庭の主婦にとってパーティが果たした意義から考察している。参加者にとって、パーティはタッパーウエアの商品を購買する機会である以上に、郊外生活では少ない社交(それも女性だけの)の機会であり、またホステスたちにとっては自宅に居ながらにできる就業(いわば女性たちの「自己実現」)の機会でもあったという。販売成績の良いディーラーは表彰をうけ、さまざまなギフトが与えられた。本社には企業ミュージアムや研修施設も開設され、全土から集まるホステスたちを迎えて工夫を凝らしたイベントが開かれるなど、独特の企業文化が生みだされた。タッパーウエア社の副社長でありホームパーティ部門を統括するワイズは、ピンクのキャデラックに乗り、マスメディアにも多く登場して当時の女性たちの文化的ヒロインとなった。

ワイズは、タッパーウエア・パーティは、他の販売方式では得難い、商品の「魅力化」を可能にするものと捉えていた。著者によれば、タッパーウエアは単に機能的な製品であるというだけでなく、パーティを通した「魅力化」がなされることによってはじめて、数多くが買われたのである。この販売方式と商品がセットになったタッパーウエア/パーティは、その後アメリカだけでなく、各国に(もちろん日本にも)広まっていった。

かつて、『欲望のオブジェ』の著者エイドリアン・フォーティは、自著を語るセミナーのなかで、「デザイン史は、デザインされたモノをその生産と消費の両面から捉える必要がある」と語っていた。しかも、フォーティは自著について、まだ生産の側面からのデザイン理解が中心で、消費の側面には充分に触れることができなかったと自己批判ともとれる発言をしていた。翻ってみるとクラークによる本書は、モノの作り手(開発と生産)に重きを置いてきた(誤解を恐れずに言うなら、男性中心の)デザイン史の見方・デザイン史観の変更を迫る試みであるかもしれない。ともかくも、本書以降、タッパーウエア・パーティに触れずに、文化的オブジェクトとしてのタッパーウエアを語る(単に「モダニストのイコン」としてのみ、タッパーウエアを賞賛するような)ことは知的怠慢とされるにちがいない。

著者のクラークは、タッパーウエア社の支援を受けることなく、公的アーカイブ資料と同社関係者(かつての「ホステス」たち)から聞き取った口述資料を駆使し、さらに、社会学や企業史・文化史など関連諸分野の研究成果を幅広く渉猟して、タッパーウエアを1950年代アメリカのコンシューマーカルチャーの中に位置づけて見せている。この力業によって、タッパーウエアのもう一つの、しかもいっそうリアリティのある全体像を描き出すことに見事に成功したといえるだろう。

※注:日本デザイン学会編『デザイン事典』、2003年, 31頁。

(初出:デザイン史学研究会『デザイン史学』第2号)