「新しい」道具と「古い」身体:道具は身体の延長なのか

道具(人工物、プロダクト製品、デザインされたモノ)の進化について考えている。生物が進化してきたのと同じように、道具も進化してきたと言えるのか、言えないのか、言えるとしたらそれはなぜ、どのようにか。生物進化とのアナロジーはどこまでが有効で、どこからが違うのか、などを考えている中で、「道具は身体の延長」という古くからある説が気になっている。

生物になぞらえた道具進化のアイデアは一九世紀後半、ダーウィニズムの影響下で起こり、その後も少しずつ姿を変えて現在に至るまで続いている。ごく卑近な例では、昨今の製品広告のコピーでも「進化」の語をよく目にする。その新製品が、ただのマイナーチェンジではない何か特別な、一段と高度な物への変化だと、仄めかしている。

道具が次々と新しい物へと進化し続ける(はずだ)という思いこみは近代以降に特有のものだろう。その思いを押し進めたのが近代のデザインだった、ということもできる。(近代デザイン理論における進化観については稿を改めて考えみたい。)製品の進化をうたう広告コピーを見てその意図を(同意はしなくとも)理解できる我々も、生物進化からのアナロジーを知らず知らずのうちに受け入れていることになる。

19世紀後半、ダーウィンの進化論をいちはやく人工物に当てはめたといわれるサミュエル・バトラーの小説『エレホン』(原著1872年)の中に、「機械の書」という章がある。これはもともと独立したエッセイとして発表され、後になって小説に組み入れられたものだが、ここには人工物の進化に対する率直な反応が先取りされている。

『エレホン』はスイフトの『ガリバー旅行記』などの系譜に属する風刺小説で、異世界探訪もののSFのはしりともいえる。小説の中で、架空の国エレホンに迷い込んだ主人公がいぶかしく思ったのは、高い文化をもったエレホン国で機械がまったく使用されていないことだった。それは、彼の迷い込んだ約五百年前、機械の使用をめぐって機械擁護派と反機械派との間で国をわける大論争があり、それに続く激しい内戦で反機械派が勝利したために、それに先立つ二百数十年以前にすでに使用されていたものを除くすべての機械が使用を禁止されたためだった。(懐中時計を持っていた主人公は、そのために投獄される。)その論争を探るうちに主人公が見いだしたのが、当時の両派の哲学者が書いたという「機械の書」だった。

この中では両派の哲学者が、つまりは作者であるバトラー自身の思考のシミュレーションであるわけだが、ダーウィン流進化論を機械へ適用してみせている。そして反機械派は、機械の進化の驚くべき速さに着目し、このまま機械の進化を許しておけばいつの日か機械が人間を支配することになる。そうならないうちに機械の進化を止める(つまり機械を全て廃止する)べきだと結論する。これに反論する機械擁護派は、機械は人間の身体の延長であるとする。つまり、人間の進化のなかには機械をつくりだすことが含まれているとの主張である。(なお、後の内戦で、反機械派が機械兵器を使わずに機械擁護派に勝利できたのかどうか興味深いが、小説では触れられていない。)

この論争でいう機械を、もっと広い概念である道具(人工物)に置き換えてもいいだろう。道具のほしいままの進化を許してきた私たち現代人は、エレホン人のように道具を廃絶することはとうていできないことからも、もうとっくに道具に「支配」されているようにも思える。一九世紀に生きたバトラーには予想しきれないほどの人工世界にいまの私たちは生きている。

人工物が進化して知能を持つようになり、やがて人間を支配するようになる、というアイデアは後に多くのSFに繰り返し現れる古典的モチーフになるのは周知の通りだが、ここで注目したいのは機械擁護派の提出した身体の延長(エクステンション)としての道具(小説の中では「機械」)という見方である。

道具は我々の身体の(頭脳の、でも同じことである)延長されたものなのだ、という視点は、バトラーが最初ではないが、これを人間の進化のあり方だと考えるとき、多くの現実がうまく説明できる。人間の採用した進化戦略が、身体を変えずに身体の外にその延長物(道具)を次々につくりだすというものであるとすると、結果的にその戦略は非常に、あるいは異常に、成功したことになる。この成功した戦略は、多少の軌道修正が可能だとしても、もう止めることのできないものだろう。道具を創り出す進化戦略は、人間が「主体的に」選んだのではなく、ダーウィン流にいえば自然選択の過程の中で否応なくそうなってしまった(他の選択はなかったか、あっても使いものにならなかった)のだから。

ところで、「道具は身体の延長」説は、今日あまり人気がない。そのひとつの問題は、それが道具の最も原初的な存在理由をうまく説明できるとしても、現代の我々の日常的意識はそう実感できないこと、つまり現代の無数の道具が我々の延長された身体なのだとはとうてい思えないことである。身体は「私」、少なくともその一部であり、身体の外にある人工物は「私」でない何か別のものである、と我々の多くは感じている。道具が身体の一部分、あるいはほんのすぐそこ、にあるように実感された時がかつてあったとしても、今の我々はそれを夢想することしかできない。

「身体の延長」説がうまく当てはまるのは、むしろ動物の構築物の場合だろう。昆虫や鳥がつくる巣、ビーバーがつくるダムなど、それぞれの本能の中に(つまり遺伝子に)その起源が求められるような身体外の構築物がある。彼らの構築物と人間がつくる道具との作られ方・広まり方のちがいに、道具の進化を説明する一つの鍵がありそうだ。

ところでこれまで、道具と機械の二つの言葉を特に区別せず使ってきたが、バトラーのエレホン人たちが退けたのは「機械」であり「道具」ではなかったと思われる。(小説中では、内戦の二百数十年前にすでにあった機械は残し、それ以後に発明された機械を廃棄したことになっている。)技術論における道具と機械の区別はあるが、ここで指摘したいのは日本語の「道具」の語には、人間にとって親しい存在としてのモノ、身体とのつながりのあるモノといったニュアンスが、まだかすかに含意されている点である。それに対して「機械」にはそれがない。「機械」といういかめしい字面の語には、身体と完全に切れてしまったモノというニュアンスがある。ついでに言えば、いったんは人間と切れたモノ(機械)を、時代の要請によって人間に近しいモノに見せる必要が出てきたとき、編み出されたのがインダストリアルデザインというテクニックだったのかもしれない。

道具の、つまり文化の、創造までを含めた人間の進化を考えるとき、それを他の生物の進化と同様に遺伝子レベルからすべて説明する(リチャード・ドーキンスの利己的遺伝子説など)ことはできそうにない。社会生物学では、狩猟採集時代から人間の遺伝子は変わっていないとして、人間の「本能的」行動、例えばヘビを怖がるとか、セックスに興奮するとかはこの時代の生活環境への遺伝子的な適応の結果だと考える。しかし人間の文化が全て生物的生存(遺伝子の複製と拡散)のためだとはとうてい考えられない。そこでドーキンスによって提出されたのが、遺伝子の他のもうひとつの自己複製子(文化の遺伝子)としての「ミーム」というアイデアである。

模倣によって広まってゆくミームがすることは、ただ自己の複製であり、生物としての身体のサバイバル(つまり遺伝子の複製)にとって利益になることばかりではないという。ミーム学のスーザン・ブラックモアによれば我々は「ミームに遺伝子が追いつかなくなった」存在なのである。我々のテーマに引き寄せて考えると、古いままの身体(遺伝子)をかかえたままで、道具(ミーム)は進化してゆかざるを得ない、ということになる。この進化速度のタイムラグがこの先どのような結果をもたらすのか、道具と身体がますますひきさかれていく先に何が待っているのか、まだだれもわかっていない。

参考文献
  • サミュエル・バトラー『エレホン』(音羽書房 1979)
  • リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店 1991)
  • スーザン・ブラックモア『ミーム・マシーンとしての私』(草思社 2000)
(初出:岡山県立大学グラフィックデザイン学科『RIPRE』創刊号2002年)