彦根考現学のすすめ

1995年3月31日、私は家族(ヨメさんと当時2歳の娘)とともに、彦根駅頭に降り立った。生まれて初めて見る彦根の町。私にとっては十数年にわたった東京暮しを終えて、これから長いこと住みつくことになる彦根との最初の対面だった。

その後、開学された大学と新築の官舎を往復する毎日を過ごして、すでに数ヵ月。しかし実をいうと、この町に住みついたという実感は、いまだに少しも湧いてこない。結局、ある土地に住まう・住みつくとは、その土地のモノ・コト・ヒトと、自らの頭と体をまるごと使ってぶつかりあうような体験をつみ重ねない限り、実感の湧かないものなのだろう。この意味では、家族たちの方が私よりよっぽどここに住みついている。娘にも公園で一緒に遊ぶ地元の友達ができた。私はちょっと焦っている。

彦根の第一印象は、地元の人には大変失礼ながら、日本のどこにでもある平凡な町、といった感じだった。確かに国宝・彦根城が、数々の寺院や文化財がある。しかし、おそらくそれらの文化財があまりに価値高いものであるがゆえに、それ以外の、日常的な生活の文化、あるいは文化とさえいえないような日常的な事物、例えば、住まいとその周囲の様子、商店街や道路沿いの景観、水辺や田園、そしてそこで営まれている生活の風景など(いわば身近な「文化財」)の価値が、どうしても見落とされがちになっているのではないだろうか。

私の専攻している生活や道具やデザインの研究では、文献ばかりでなく、現実のフィールドが大きな資料源になる。この町の普通の風景、日常の事物を見つめることが、研究の糧になるはずだ。もちろん、そういう平凡な普通の暮らしぶりの中に、彦根の彦根らしさ、アイデンティティが見つかるかどうかはわからない。しかし、見方を変えてみると、こういう、平凡で(たびたび失礼)普通の町だからこそ、今の日本の生活や日常の文化が、いわゆる「町おこし」や観光開発にみられるような個性づくりのバイアスを抜きにして、この町のすがたに素直に反映されている、とみることもできる。この意味では、彦根とその周辺は格好の研究フィールドかもしれない。

幸いなことに、こういう日常の生活や風俗を捉える方法として、考現学というものがある。昨今のジャーナリズムでは、考現学というと、ちょっと覗き見趣味の徹底取材、といったニュアンスがあるが、その創始者・今和次郎(こん・わじろう。1888〜1973)にとって、考現学は、激しく移り行く風俗や生活をありのままに記録し、その背後にあるものを解読しようとする方法的実験だった。我が国の民家研究の草わけでもあった今和次郎は、関東大震災直後のバラックを記録にとどめることに始まって、仲間たちとともに、昭和初期の東京銀座街頭、下町のスラム、新興の郊外住宅地などで、彼等の独創的な方法による種々の生活・風俗調査をおこなった。

身の回りの、一見するととるに足らないような、ささいな行動や事物を、こと細かく観察し、ビジュアルに記録する彼等の方法は、当時のジャーナリズムには大きくとりあげられたものの、その後長い間、アカデミックな評価を受けず、ようやく1970年代以降になって、その先進性が認められ始めた。現在では考現学の方法と精神を現代に継承しようとする研究者・愛好者も現われている。調査自体を楽しんでしまおうという、おなじみの路上観察学もその中の一派である。

実は県立大では、私の担当で考現学概論という授業を開講している。考現学を大学の正規のカリキュラムに入れたのはここが最初だろう。授業の中では、今和次郎らの仕事を紹介するだけでなく、学生ひとりひとりがフィールドに出て、自分たちの目と手で、考現学の調査を行ってみることを義務づけている。

私自身もそろそろフィールドが恋しくなってきた。ときどきは大学を抜け出して彦根の街へ出てみようと思う。それは、私自身が実感をもって彦根に住みつくためでもある。同好の士がいればいっしょにやりませんか。そして、カメラとノートを持って辺りをうろつき回っている不審な人物を見かけた皆さん。どうか暖かい目で見守ってやってください。

(初出:サンライズ印刷『Duet』1995 Vol.45)