彦根仏壇組合との10年 - デザイン・伝統産業・大学 -

開学まもないころから本学の地元・彦根の仏壇組合(彦根仏壇事業協同組合)とつきあいが始まって10年近くになる。そこで本稿では、仏壇組合と関わってきたさまざまな活動を振り返りながら、デザインと伝統産業の関係、そして大学教員としての関わり方について考えてみたい。

産学行政フォーラム:

仏壇組合と私の最初の出会いは、彦根市が行う平成8年度「産学行政フォーラム」に講師として招かれたことだった。これは市内の3つの地場産業(仏壇・バルブ・下着縫製)それぞれの関係者を対象に大学からの講師を招いて行っている講演シリーズであるが、この講演依頼には正直なところ困惑したことを覚えている。モダンなデザインと伝統的な仏壇に何の関わりがあるのか、うまい関わり方ができるのか、すぐには見当がつかなかった。私は前職のデザイン会社員時代、仏壇関係の研究をしたことがあったし、ある大手の仏壇会社にむけて研究開発プロジェクトを企画・提案したこともあったが、その企画は実現に至らなかった。そのためもあって、仏壇はデザインとは相性が悪い製品分野だと考えるようになっていた。

結局、仏壇組合員を対象にしたその講演では「デザインからの商品企画」と題して、インダストリアルデザインの視点からの(つまり、量産製品を前提にした)商品企画のプロセスや手法について話し、現代の生活財としての仏壇の位置づけについて公刊統計資料から分析して、最後に2つのモダンデザインの仏壇の例(ひとつは私の在籍していたデザイン会社の、もうひとつは友人のデザイナーがデザインしたもの)を見せて解説した。聴衆の反応はあまりよく覚えていないが、30歳代くらいの若手の組合員もたくさんいることに気づいた。講演の後、別室で組合の役員たちとはじめて顔を合わせてゆっくり話しをする機会があった。商品企画のプロセス論については、「うちの者にも参考になる、使える」との声があったものの、デザイナーの手になるモダンな仏壇デザインに対する反応はどちらかといえば冷ややかだった。確かに、彦根は伝統工芸としての仏壇、それも大型の金仏壇に特色がある産地であり、このことからも、業界の体質としてはかなり保守的であると感じた。(彦根の仏壇組合は組合員約70数名。彦根産地の仏壇事業従事者は約700名。通産省(当時)の認定する「伝統的工芸品」の全国最初の指定産地でもある。)

「虹の匠」研究会と仏壇館構想:

上記フォーラム出講は一回かぎりのものだったが、仏壇組合とのつきあいを継続的にする機会は間をおかず訪れた。当時、県内のデザイナー団体(デザインフォーラムshiga、略称DFS)の立ち上げにおいていっしょに動いていた県・工業技術センターのデザイン担当者・山下誠児氏から、県内のデザイナーと伝統産業が共同する研究事業の計画を持ちかけられた。その伝統産業として選んだのが、彦根仏壇であった(「伝統産業彦根仏壇と現代デザインの融合化研究」平成10〜12年度・工業技術総合センター研究連携推進事業)。  やがて上記DFSで出会った県内のデザイナー数名と仏壇組合からの代表者数名からなる研究会が発足、定期的に会合を持ちながら現状の仏壇産業の抱える問題点の抽出、デザインによるその解決案の検討などが始まった。会の名称はあるデザイナーの発案で、仏壇の七職(彦根仏壇をつくるための七つの職人技術。漆塗、彫刻、金箔、宮殿、蒔絵、木地、かざり金具)と七色の虹をかけて、「虹の匠」研究会となった。

この研究会では、議論やアイデア出しなどの会合のほかにも、講師を招いての勉強会、デザイナーのための工房・工場見学会、仏壇展示会における来場者アンケート調査などをおこなった。仏壇組合側のメンバーも組合内の会合ではおそらく出ることのない忌憚のない意見を出してくる。組合内の常識を知らず利害関係もないデザイナーは部内者には意外なアイデアをぶつける。しばらくの間、この研究会は組合に対しての一種のアドバイザリー・ボードのような治外法権的な場として機能していたと思う。デザインの観点から、定例行事の市内での仏壇展示会へのアドバイスなども行った。しかし、私は座長を務めながらも、この検討会の最終的な落としどころ、検討の成果のかたちについてはなかなか見通しがつかなかった。

検討の中で早くから指摘されていたのは、彦根仏壇の知名度の低さ、ブランドとしての弱さ、産地としての情報発信(広報・プロモーション)機能の欠如であった。彦根仏壇は業界内でこそ知名度があり、技術的な高さも定評がある。にもかかわらず、一般消費者は地元の人を除いてそのことをほとんど知らない。「仏壇産地・彦根」を継続的に広報していくことがまず重要課題に挙げられた。

この広報機能の強化を中心にデザイナーから出されたたくさんのアイデアを集約していく中で浮かび上がってきたのが「彦根仏壇館」の構想だった。産地広報、新商品開発、起業家育成、観光・集客などの仏壇プロモーションのためには、その拠点となる場所があると非常に都合が良い。もちろん、専用施設がなくとも、個々のプロモーション活動はできるが、それらを集約した施設(仏壇館)ができればその効果も大きいはず、とのいわば夢のアイデアだった。この夢は結局現在まで実現していないが、一時、これが実現化にむけて動き出したかに思える時期もあった。

それは、中小企業庁の中心市街地活性化事業に関連して、彦根市、彦根商工会議所(同事業のTMO、タウンマネジメントオフィスの中核となる)がこの「夢」に興味を示してきたのである。商工会議所のTMO構想に「彦根仏壇館」が盛り込まれると、NHKが取材に来たり、市議会の一般質問にとりあげられるなど、世を騒がせることになった。しかし、資金的裏付けがないままでは、実現はむつかしい。現在まで「構想」のままにとどまっている

なお、研究会の検討の最終的なまとめにおいては、仏壇プロモーションの場として、ミュージアム的な拠点施設(仏壇館)の案だけでなく、中心市街地の空き店舗を利用する案、市内仏壇街の七曲がり地区を活用する案など、より現実的な提案も行った(虹の匠研究会報告書「伝統産業彦根仏壇の展望」平成12年3月)。

仏壇館構想の動きが止んだ後、構想まとめの中にあった一つのアイデアが動き出す。それは彦根仏壇の技術を活用した新商品開発の試みだった。木地、漆塗、金具などの技術を組み合わせることによって仏壇以外の新製品分野が生み出せる可能性に着目したもので、工業技術センターの事業として、組合青年部(若手の組織)が担当することになった。商品アイテムの検討(どのような製品分野に仏壇技術が使えるか)には、「虹の匠」メンバーのデザイナーが教鞭をとっていたデザイン専門学校生が参加。検討の結果、そのアイテムとしてカバン(鞄)を選び、青年部と工業技術センターのデザイナーによってデザインと試作が行われた。最終的に4つの木製・漆塗りのカバン(カート式の車輪付き型、化粧箱にもなる手提げ型、脇に抱えるクラッチバッグ型、手提げと肩掛けの兼用型の4タイプ)の試作が完成し、平成12年12月、各方面に広報された。なお、このプロジェクトの後も、当時の青年部員が個人的にアタッシェケース型などの木製カバンの制作を続けている。これが彦根産地の新商品分野といえるほどになるかどうかはわからない。しかし、少なくとも、彦根産地のもつ潜在的な技術力が仏壇以外の分野でも展開できる可能性を示すことはできたと思う。

彦根仏壇展と工芸技術コンクール:

虹の匠研究会の活動の間に、仏壇組合とのつきあいも広がっていった。たとえば青年部や伝統工芸士会などの組合下部組織の活動、彦根市内でおこなう仏壇展示会や技術コンクールなどの組合イベントなどに、デザイン専門家あるいは単に大学教員の立場で手助けする機会が増えていった。

例えば、市内ショッピングセンターを会場に行われる毎年の展示会「彦根仏壇展」のあり方への助言(単に製品を並べるだけでなく、職人の匠を間近に見せる・疑似体験させる。仏壇のお飾りの仕方を見せる。メンテナンスの相談コーナーを設ける等)をおこなうだけでなく、観客動員、つまりは学生を見に行かせることにも協力することになった。展示会や伝統工芸士会の関わるイベントでは、仏壇技術の体験教室がよくおこなわれるが、これは子供たちばかりでなく学生にも教育効果がある。たとえ数時間の間でも、本物の材料を使って、熟練した職人の直接の指導を受けながら、自分の手でものをつくる体験ができる。しかも受講は無料。これまでにかなりの数の本学学生が参加している。

展示会を見に行かせた学生に、その感想文を書かせた年もある。多くの学生が、「値段を見て驚いた。なんでこんなに高額なのか」「祖父母の家にも仏壇はあるが、仏壇自体をゆっくり見たことはなかった」「工芸品としてのものすごさに初めて感銘を受けた」などの感想をもつ。仏壇それ自体を美術工芸のように観賞することは、学生ばかりか多くの人にとってめったにない機会なのだろう。商品見本市としてではなく、仏壇という複合的な工芸品の観賞会ととらえて、展示会を見に行くことを学生に勧めている。(実はこの仏壇展は毎年、各出品物に細かな新機軸・新デザインが打ち出され、業界人にとっては他社との、あるいは職人同士の激しい競争の場でもあるらしいのだが、その細かな駆け引きは業界外の者にはほとんどうかがい知ることができない。)

もうひとつの定例イベントとして、組合員の工芸技術コンクールがある。これは仏壇技術の継承と若手育成のためのもので、毎年、組合員から作品を募集して、審査と優秀作品の表彰が行われる。私も作品審査員として関わるようになった。審査員は組合の幹部と技術委員、組合外部からは国・県・市の産業振興行政の関係者。デザイン分野からは私だけになる。作品は伝統工芸部門と創作部門の2部門にわかれて応募され、審査が行われる。審査員は会場に並んだ作品をひとつひとつ見て、細かく決められた審査基準にしたがって採点していくのだが、組合外部の者にはこれが難しい。例えば、宮殿(くうでん)技術の作品なら、「見た感じのバランスと品位」「斬新さとアイデア」「角の仕上げ」「木の小口」「刃物の切れ」の各項を、良いか・悪いかで判断し採点することが求められる。しかし、工芸作品の細部までの良否を見わける目は、残念ながら私にはない。結局、技術的細部の採点は全部同点をつけてしまい、デザイン面だけの善し悪し(上の例なら「見た感じのバランスと品位」「斬新さとアイデア」の2項)だけをもっぱら見ることにしている。できればもう少しデザイン力を重視する審査方式にしたい、とも思っている。

当然ながら、伝統工芸部門は例年すばらしい作品が出てくる。しかし毎年のように受賞する常連がいて、受賞者はかなり限られている。その一方で、私の目で見ると創作部門の応募者は苦しんでいるようだ。これは、先に述べたカバンと同様に、仏壇技術を継承しながらも新しい製品をつくるという趣旨の部門だが、仏壇の職人に仏壇以外の製品の創作、つまりデザインまでを求めるのはやはり難しいのだろう。毎年の表彰でも、伝統工芸部門の作品が上位の賞を占め、創作部門からの受賞は少ない。それでも伝統工芸部門に出品したものでありながら創作的要素の強い作品もときどき見られる。例えば何年か前、折りたたみ式スツール状の花台に漆を塗った作品が最高賞になった。仏壇とは関係がない商品分野として可能性を感じさせるものだった。毎年の最高賞クラスの作品になると、工芸品として人を強く魅了する、「欲しい」と思わせるものがある。このレベルでは伝統か創作かの区別などもはや必要ではないのだろう。こういう中から彦根産地の新しい商品分野に育っていくものが見つかるかもしれない。

毎年のコンクール審査に参加して、彦根産地にもデザインセンスにすぐれた職人がいることを知った反面、全般的には創作力・デザイン力の強化が必要であると痛感するようになった。

全仏展:

虹の匠研究会でも最重要課題とされた仏壇プロモーションに、彦根産地全体が取り組む機会が平成15年にやってきた。全国伝統的工芸品仏壇仏具展(通称「全仏展」)を彦根でおこなうことが決まったのである。これは伝統的工芸品に指定されている全国15の仏壇産地の協同組合が隔年開催する業界最大のイベントであるが、その彦根開催は全国規模で彦根産地をプロモーションする絶好の機会でもある。彦根組合では早くから準備委員会をつくって準備を進めることになった。

ここに、私を含めて「虹の匠」に参加したデザイン関係者から3人がこのイベントの企画部会の委員となり、組合側委員とともに具体的にどのようなイベントにすべきかの検討に入った。これまでの経緯もあって「虹の匠」の顔ぶれに似たメンバー構成となった。なお、このとき私ともう一人のデザイナー(平沢 逸氏)とが、(社)全国伝統的工芸品産業協議会(「伝産協」)の指名する「産地プロデューサー」に登録された。これは伝統工芸品産地を活性化する事業に外部のデザイナーやプランナーなどを関わらせるための事業で、必要費用を伝産協が補助する制度の一環。伝統産業がらみのデザインや企画を、これまでのように半ばボランティアではなく、デザイナーの仕事として関われるようにする制度としてこのころ全国でスタートした。

企画委員会でデザイナー側が最も主張したのは、これまでもっぱら業界内のイベントであったものを業界の外の、つまりは一般消費者までが来てもらえるようなイベントにしようということだった。そして、伝統工芸品の仏壇を並べるだけでなく、これまでの慣例をやぶって伝工品以外の一般製品も並べる場をつくり、商談を進めることができるようにすることも主張した。以降、検討のさまざまな紆余曲折は省くが、要はややマンネリ化していた産業イベントをデザインの視点から現代化をはかるために、さまざまなアイデアを提案し、検討の俎上に乗せて企画をまとめていった。例えば、結婚するカップルを事前公募しての仏前結婚式。また例えば、現代人にとっての仏教の意義を説く講演会。あるいは、県内のさまざまな工芸品や特産品の展示即売。仏壇のある暮らしや家族の情景などの写真展。彦根仏壇のふるさと・七曲がり地区の見学会と同時開催イベントなど。これらの多くが、何らかのかたちで結果的には現実のものとなった。

企画案は平成14年5月の組合員総会にて書面と口頭で発表した。私は発表の間中、組合員たちの表情が気になった。また、めんどうなことを言いだしやがって、という冷ややかな反応なのか、幾分かは興味をもって好意的にきいてくれるのか、、。所詮、企画案は絵に描いた餅に過ぎず、企画を実行するのは他ならぬ組合員たち自身なのだから。幸い、反応は悪くはなかった。かなりの負担があり大変ではあるが、やってみよう、なんとかやり通してみせる、という機運の高まりのようなものを感じた。

この後は組合に実行委員会が組織されて実施準備が進むことになるが、企画委員の私たちは居残り、展示会場や広報物のデザイン管理・調整のために臨時会合(自称ビジュアル・アイデンティティ委員会)を持っていた。会場と広報物のデザインは、前述のデザインフォーラムshigaで旧知の県内デザイナーに発注された。

平成15年10月の3日間、全仏展は米原の県立文化産業交流会館を主会場に行われた。記念講演会は彦根文化プラザにおいて開催し、講師は国際日本文化研究センター所長の山折哲雄氏にお願いした。企画委員の念願だった七曲がり地区でのイベントも実施されたが、米原との同時開催が裏目に出て充分な集客はできなかった。3会場の来場者総数は5300人。まずは大成功といって良いだろう。この要因としては彦根市や滋賀県などの補助、彦根仏教会や物産協会など地元組織の支援も大きかったが、なにより組合員たちの頑張りがイベント成功の源だろう。ともあれ「仏壇は彦根」のプロモーションに長期的な効果があったとみている。

創作仏壇のデザイン開発:

仏壇とモダンデザインは相性が悪い、と先に述べた。「虹の匠」研究会でも仏壇の新デザインに取り組むことは課題として挙げられていたが、実際のデザインに動き出すことはなかった。デザインと伝統工芸の関わりからは、個々の製品をデザインすることよりも、その製品を生み出す基盤としての産地体質の改善(いわば産地そのもののデザイン)こそが優先されるべきと考えたからである。さらに、新しいモダンな仏壇のデザインを考えても、売れる保証はない。簡単には手が出しにくい課題だったために後回しにしてきたのも事実だろう。

しかし、その機会が平成16年についに訪れることになった。いくつかの偶然もある。まず組合の新商品新技術開発委員会が創作仏壇の開発を研究テーマとした。これは前年の東京での展示会で、彦根の伝統型仏壇への消費者の反応がいまひとつだったことから発案されたという。その共同研究の依頼を私たちが受けることにしたのは、数年前から本学に着任した印南比呂志助教授が主導する演習授業で、地域の現実のプロジェクトを演習課題として取り上げるスタイル、つまり学生に、クライアント(依頼元)のある現実のデザインをさせる授業形式が定着してきており、これに適当な次期の課題を探していたためでもあった。偶然は重なる。ちょうど組合からこの依頼のあったころ、本学は文部科学省の現代GP(現代的教育ニーズ支援プログラム)に大学の地域貢献を主眼とした申請で採択されていた。ここに、創作仏壇のデザインを学生たちを巻き込んだ地域連携プロジェクトとして申請することができる。さらに、本学を中心とする産学連携補助事業(滋賀県立大学等学術文化振興財団・産学官連携推進助成)があることに気がついた。これまで述べてきたように、産(彦根仏壇組合)・学(本学)・官(工業技術総合センター)の連携には充分な実績がある。

助成申請はいずれも採択され、仏壇組合側の人選を待って、創作仏壇プロジェクトをスタートさせることができた。先行したのは学生によるプロジェクトだった。仏壇制作技術を知るために七曲がりの職人の工房を学生が訪ねることから始まり、学生は仏壇に対する常識がないだけに自由に新鮮な発想で仏壇あるいは仏壇産業へのデザイン支援策を考えることになった。その後も演習期間中には、七曲がりをはじめとする彦根の仏壇店には学生が何度か訪れることになった。突然の訪問に面食らった店もあったようだ。課題作品ができあがるころ、演習授業の終わりには学生ひとり一人が、作品の提示・プレゼンテーションを行う。今回は仏壇組合の方々を本学に招き、人間文化学部の大会議室を借りてプレゼンテーションを行った。

学生の考えた彦根仏壇へのデザイン支援策は、仏壇の新デザインにとどまらなかった。彦根仏壇を広報する組合のホームページのリ・デザインや七曲がりの産業観光を意識したパンフレット、仏壇のメンテナンス(お洗濯)をすすめる仕組み、仏壇の引っ越し時のサービス、消費者の要望に合わせた仏壇店の紹介システムなど、総じて、仏壇そのものよりも仏壇を売る・伝える仕組み等のソフト提案も多かった。仏壇そのものへの提案では、卓上に置ける大きさの小型のもの、形状可変の積み木のような極小仏壇、ポータブルな位牌ケース、液晶画面を利用した仮想的仏壇などが目を引いた。仏壇そのもののデザイン(ハード提案)から売り方やサービス(ソフト提案)までのさまざまな提案は、この業界の常識に反するものばかりだったかもしれない。学生のプレゼンテーションでは業界批判の失礼な発言もあって教員としてはハラハラしたが、終わってみると組合員の方々には思いのほか好評だった。学生がここまで考えてくれたか。おもろいこと考えよるなあ。できそうなことは実際にやってみようか、という程のものだったかもしれないが、組合員たちのの感性を刺激するおもしろい機会だったと思う。

学生プロジェクトの進行とは少し遅れて、創作仏壇(伝統様式でない新デザインの仏壇を業界ではこう総称する)の開発プロジェクトは、まず開発コンセプトづくりに時間をかけた。なぜ、どんなとき仏壇が売れるのか。それが創作デザインであることの意味は。業界内での彦根のポジションと創作を出すことの意義は。また、創作仏壇の市場性はどの程度あるのか。このような問いの答えを模索しながら、業界内外の関連情報の収集、彦根以外の他産地状況の調査、これまで各地で行われている創作仏壇デザインの情報収集、東京展示会の状況視察、北海道の先進的住宅メーカー(仏壇を設置することが前提の耐雪型三世代住宅・木の城たいせつ社)取材、東京市場での消費者アンケートなどを行っていった。コンセプト検討において最も役立ったのは組合側委員との意見交換だった。特に、業界の外からは知り得ない仏壇ビジネスの内情について、たくさんの貴重な話を聞くことができた。

私たち開発チームが最終的に提示した創作仏壇のデザイン案は、東京市場を強く意識したやや小型、一見モダンな外観の(しかし、その内部は伝統意匠で高密度に加飾された)独特なものとなった。デザインおよびCG表現を担当したのは本学大学院生(環境科学研究科の松本雄樹君)である。このデザインについては組合共有のものとし、組合員から試作希望を募った。平成17年8月現在、1社で試作が進行しているが、今秋に計画されている展示会で初めて公に発表される予定である。どのような市場の反応があるのか、今から楽しみにしている。なお、本学側開発チームは、面矢慎介、印南比呂志(本学教員)、山下誠児(工業技術総合センター)のほか、松本雄樹、平井達也(本学大学院生)、南政宏(当時・大学院卒業生、現 在・本学助手)であった。

おわりに:学生達にとってのの彦根産地:

以上、デザイン教員の立場から仏壇組合とのつきあいを振り返ってきた。最後に、本学学生たちもさまざまなかたちで彦根産地と関わってきたことを附記しておきたい。展示会や技術体験教室などの産地イベントに学生達が多く参加してきたことはすでに述べたが、これらに加えて、虹の匠研究会の行った仏壇に関する意識調査の実施、報告書まとめ等の作業には学生を参加させてきた。また、大学授業に関わるレポート課題・演習課題・卒業研究等のために、これまで数多くの学生が彦根の店や工房を訪れている。また仏壇会社がおこなう仏壇デザインコンペに入賞する学生も現れた。私の知る限りでも、これまで彦根仏壇産地に関わるテーマで書かれた卒論が2つ、修論が1つ。現在も修論1つが進行している。彦根産地の工房で木工機械を使わせてもらい技術指導をうけた卒業制作もある。忙しい日々の仕事中にもかかわらず、めんどうな学生たちの訪問を受け入れてきてくれた組合関係者に深く感謝している。

ほとんどの学生達にとって、彦根産地との関わりはつかの間のものであるかもしれない。それでも本学が彦根に立地しているために、仏壇というもの、および仏壇組合の人々とのさまざまな貴重な出会いがあったに違いない。

卒業してゆく学生達と違い、私の彦根仏壇とのつきあいは終わることがない。これからも仏壇組合の「伴走者」として走り続けることになるのだろう。

(滋賀県立大学人間文化学部研究報告『人間文化』16号、20004年11月 )