明治の雑貨産業 - 畳、箒、箪笥

畳を敷き詰めたままにする習慣は案外新しい。近世都市の町屋では元禄年間以降になると畳を敷き詰めにするようになったが、農村では明治初期でもまだ畳間のない家が多く、畳間があっても普段は上げておき、接客時のみに敷くことが普通だった。明治期にこれが敷き詰めになってゆく過程で、畳需要は拡大していった。藁から畳床をつくる畳製造機が完成するのは明治40年代であった。

畳は畳床に畳表を被せたものだが、地場で畳職人がつくることが主だった畳床に比べると、畳表は備後表・備中表をはじめとして地域特産物としての産業化・流通商品化が近世から進んでいた。備後、大分では明治維新後に畳表生産の同業組合が設立され、岡山、加賀、遠州などがこれに続いた。畳表の生産は明治40年代から昭和初期が盛期であり、大正15年刊の『藁製品・畳表類ニ関スル調査』によれば、大正8〜13年の全国生産量は年間2千万枚前後に達し、大正13年生産量の24%を大分県が、20%を広島県が占めていた。広島県(備後地方)では、畳表を織る地機(座り機)が足踏式織機に転換するのが明治末期、動力式織機の導入は昭和6年であった。

各家に畳敷きの座敷があってあたりまえ、になる途上の明治期において、畳は豊かさの指標であり、地域経済にとって重要な産品でもあった。

箒は藁、竹、箒木、棕櫚、黍など、掃き掃除に適した形状の手近にある植物を束ねて自家製するものであった。この中で畳敷き床の掃除に適した座敷箒(蜀黍製箒)をはじめとして明治期になって産業化・商品化されてくるものがあった。明治初期には殖産事業として奨励され、農家の副業として生産されるようになったが、地域によって材料・種類に特色が見られる地域特産品でもあった。大正12年の『副業生産品に関する調査』では、生産額の多い県名とその製品種として、栃木、茨城、埼玉、東京府下の関東4府県(以上は蜀黍製箒)のほか、山形の「竹箒」、石川の「實梗箒」、岡山の「藁箒」、福岡の「棕櫚箒」等が挙がっている。この中で、産額と販路の広さで突出しているのが栃木県であった。生産量は96万本、生産額は60万円にのぼり、販路は関東各府県、東北各県、静岡、愛知、大阪に広がっていた。また従業戸数約1400戸のうち350戸が専業であり、ほとんどが農家副業であった他府県と対照的である。

栃木の中心的な箒産地・鹿沼の座敷箒(蜀黍箒)はすでに近世末期に定評があり、材料となる箒もろこしの種子は練馬から移入されたのが始まりといわれるが、その後、明治末期から大正にかけて品種改良され、麻の裏作として周辺農家で栽培された

鹿沼の箒生産が盛んになるのは、畳敷きの部屋(座敷)が増え、座敷箒の需要が増大した明治30年頃からであり、昭和5〜6年頃が最盛期とされる。最盛期の県内工員数は3000人、生産数300万本、全国生産高の約半分を占めたという。鹿沼箒の形状はその編み込み部の形から「蛤型」と呼ばれる。麻糸で編む蛤型の技法は明治前期の鹿沼で起こり、明治22年頃からニッケル線が使われている。

箒もろこしというきわめて好都合な形質をもった植物体を箒に編み上げる、この工程は機械化がむつかしかった。箒生産は兼業・専業を含めた多数の職人の手業によって支えられた産業であった。

箪笥

日本において箪笥が質・量ともに発展するのは明治中期から大正時代にかけてである。江戸期の箪笥は技術的にも素朴なものであり、庶民に普及したものではなかった。

明治7年の『府県物産表』によれば、生産高最高の東京府で年間約7100棹、大阪府で約5600棹、京都府で約4800棹と続く。ここから大正始めまでに生産高は大きく上昇する。明治45年の『木材の工芸的利用』によれば、東京市だけで年間生産高は約18000棹、東京近郊の産地としては、川越一帯が約12000棹、粕壁(春日部)一帯は農閑期の製作が主であるが用箪笥(小物入れ用の小箪笥)約2000棹。また高尾一帯は農家の副業的な産地だった。川越一帯は全部が専業者で、明治初年に箱屋(箪笥などの箱物の製造家)40名であったものが明治末には200戸以上に増えたという。このように明治30年代から大正初期にかけて全国各地で箪笥産地が発展している。

東京および近郊産地はみな桐を材質としていたが、他地域の産地では桐以外の多様な材も使っていた。東京でも江戸時代には塗仕上げが多く、桐の木地仕上げが主となったのは明治になってからである。廉価な東京型の桐箪笥は、塗箪笥を主としていた関西でも次第に好まれるようになってゆき、明治末期になると全国各地の箪笥産地で東京型桐箪笥をつくり始めている。大正12(1923)年の関東大震災の後、全国の産地が東京型に切り替えて増産に乗り出したことも、東京型桐箪笥が全国で画一的につくられるようになる契機となった。

参考文献
  • 広島県立歴史博物館編『備後表 -- 畳の歴史を探る』(広島歴史博物館友の会、1990)
  • GK道具学研究所・山口昌伴『和風探索』(筑摩書房、1990)
  • 宮崎清『藁2』(法政大学出版局、1985)
  • 小泉和子『箪笥』(法政大学出版局、1982)
  • 腰山巌『鹿沼箒研究』(鹿沼箒商工業協同組合、1967)
  • 鉄道省運輸局『藁製品・畳表類ニ関スル調査』(1918, 1971)
  • 農商務省農務局『副業生産品に関する調査』(1925)
  • 農商務省山林局『木材の工芸的利用(訂正第二版)』(1913, 1971)
  • 『明治七年府県物産表』(1864, 1959)
  • 織井文雄「在来箒工業地帯の形成」(古今書院『地理』13(9), 1968)
  • 岸加四郎「備中の畳表」(『地方史研究』31(4), 1981)
  • 宝谷亮介「備後における藺草栽培・畳表製造の変遷とその要因」(『立命館文学』427-9, 1981)
(初出:日本産業技術史学会編『日本産業技術史事典』思文閣、2007年)