晴れとケのデザイン

人間の生活原理には、いずれの民族にあってもハレ(晴れ)とケという対立する2つの側面があり、それに対応した物質文化の意匠・デザインがある。広い意味でのデザインが生活文化を創造する行為であるとするなら、人間生活の中に遍在するこのハレとケの原理を見逃すことはできない。

1、日本の伝統的生活原理としての「晴れとケ」

ハレとケの概念は、もともと日本民俗学において発見され、日本の民俗研究、常民の生活様式分析の鍵になる独自の概念である。ハレが年中行事や神事および人生儀礼(出産や婚姻など)の特別に改まった機会を指し、それ以外の普段の日常をケと呼ぶ。この対立するハレの時とケの時を峻別するのがかつて常民の生活感覚であり、それは稲作農耕を基盤として成立した(ハレの神事には、ケの稲作農耕の感謝と祈願が表現される)とするのが民俗学の一般的な理解であった。近年の民俗学ではこのハレとケの2項対立にケガレを加えた3項関係に関する理論(ケを農業生産を可能にするエネルギーとし、これが消耗することでケガレが生まれ、それを回復するのがハレであるとする3項循環論など)も提起されている(坪井、1982および宮田、1985)。

ハレとケを日本人の民俗的世界の分析概念から拡張して、広く人間生活の中に遍在する日常(ケ)と非日常(ハレ)の律動(区切り・けじめ)として考えることもできる。日常の生活とは、ともすればさまざまの生活行為の単調な繰り返しの時間の連なりでしかない。これに対して集約的な区切り・けじめにあたる濃密な時間(儀礼などの宗教的営み)が多くの民族に存在する(清水、1978)。この非日常の時にあっては日常では禁止されている逸脱や興奮が許され、しばしば奨励されたりもする。生活の流れの中には、このような日常・非日常の秩序があり、それは宗教的世界観の中に生きる伝統的社会ばかりでなく、現代社会の中にも見いだせる。いわゆるハレの日、ハレの場にあっては可能な限りでの最高の生活文化の表現として、普段の日常とははっきり異なる行動様式や意匠が選び取られる。これを人間の文化一般の本質的特性のひとつとみることもできる。生物学的欲求の充足ではなく、文化的欲望を満たす快楽の追求に文化の成立をみる見方(丸山、1984/1987)によれば、(しばしばハレの場において行われる)過剰の蕩尽こそが文化であり、そこに人間の生きる喜びがある、とされる。

2、ハレのデザインの総合としての祭

ハレの場にあってはそれに対応したハレの意匠・デザインがある。このことを最も良く例証するのが、祭礼であろう。各地に伝承されてきた祭(神祭り)にあっては、祭の開始から終了までのプログラム(進行の手順)、参加する人の行動や所作、衣装や化粧、祭の中心として登場する物質的備え(神殿飾り、御輿や山車、御神体、依代)、祭の空間を作り出す備え(注連縄、御幣、祭提灯、旗、幟)、音と響き(囃子、かけ声、太鼓、鉦)、祭の飲食(御神酒、直会)などの総体がハレの場として「デザイン」されている。視覚的デザインのみならず、人間の五感が感受するすべてのデザインがあいまって、独特の祭体験としての緊張や高揚、興奮などが生まれる。

日本の伝統的なハレのデザインの好例として、祭の他にも、各種のシメ縄(注連縄)の意匠やその用い方を挙げることもできる。

3、「晴れとケ」の意匠、モノと空間の事例から

ハレとケの使い分けに対応する物質文化の意匠もある。例えば、日本では稲作の副産物としての藁を日常の生活全般において活用してきた。その一方で、年中行事や人生儀礼などのハレの機会にも、神とのコミュニケーションを目的とするさまざまなかたちの藁製の神具、造形物(図1)がつくられてきた(宮崎、1985)。その造形感覚は日常用の藁製民具とは明らかな違いがある。

また、ハレとケそれぞれの機会に対応するために、生活空間には使い方の階層的な秩序があった。四間取りの農家住宅の一例(図2)では、そこで行われる生活行為との対応から、内部空間は日常(昼・夜)と非日常の領域に区分することができ、四つの畳間の性格は、ハレ(奥座敷)とケ(納戸)の2つを極とする質的位相の中に連続的に位置づけられている。納戸の側から奥座敷に入ることを禁忌としているのは、この2つの部屋の質的な階層差を一挙に飛び越えることを忌むためと考えられる(福島ほか、1977)。

4,現代社会にも「晴れとケ」はあるか

ところで、ハレとケの律動・区分は、現代社会にも伝承されているのだろうか。ハレとケを狭義に捉えれば、農耕を中心とした文化、農耕神をめぐる民俗から離れ、ハレ(非日常)の次元の生活がケ化(日常化)したこと(ハレのケ化。例えば日常的な飲酒、日常的な米食など)によって、ハレとケの原理は衰退・消滅したことになる(坪井、1982)。しかし、祭や年中行事の存続や復興などにみるように、広い意味でのハレとケ(ケ化したハレ)の律動・区分は、現代にあってもかたちを変えながら残っている。いわば、ハレとケは混在化しつつ今も変動の過程にあるのではないか。

5,次代のデザインのための思考仮説として

最後に、デザインをめぐる思考の中で、ハレとケという伝統的生活文化の原理に敢えて注目する意味について指摘しておきたい。

従来優勢だったデザインの思考は、モダンデザインの近代主義的思考であった。これに対してハレとケという民俗的思考は、一見きわめて対立的である。特に近代主義的デザイン思考の特徴である、普遍主義、機能主義、装飾の否定とそれに付随する一定の美意識(シンプル・モダンの規範化)が行き渡る過程において、抜け落ち、捨てられてきた生活文化は多い。これは洋風化=近代化を進めてきたこの100年あまりの日本をはじめとする非欧米諸国に特に著しい問題であろう。

ハレとケの民俗的思考と近代以降のデザイン思考とをつき合わせてみることによって、新たなハレとケの律動、あるいはその等価物を作り出すような生活様式・生活文化のデザイン(それは物や空間の外形操作とは限らない)の構想が生まれてくるかもしれない。

参考文献
  • 清水昭俊「生活の諸相」、石川栄吉編『現代文化人類学』PP41〜53、弘文堂、1978年
  • 坪井洋文『稲を選んだ日本人・民俗的思考の世界』PP205〜221、未来社、1982年
  • 福島慎介・宮崎清・大沢浩一「農家住宅の構成と使い方にみられる秩序性・大和高原都祁村の場合」、日本デザイン学会『デザイン学研究』NO.26、PP66〜67、1977年
  • 丸山圭三郎『文化のフェティシズム』PP113〜117、徑草書房、1984年
  • 丸山圭三郎『文化=記号のブラックホール』PP110〜117、大修館書店、1987年
  • 宮崎清『藁1・2』PP156〜191、法政大学出版局、1985年
  • 宮田登『新版・日本の民俗学』PP228〜9、講談社、1985年
(初出:日本デザイン学会編『デザイン事典』朝倉書店)