近代家庭機器のデザイン史
日英比較を通したアノニマスヒストリーの試み(その5・鍋を事例として)

研究の目的・方法

本報告は、日本と英国での家庭機器の発展過程を事例として、ものに即した(オブジェクティブ・アプローチによる)デザインのアノニマスヒストリーのあり方について考察するシリーズ報告の第5報である。今回は19世紀以降の英国における家庭用の鍋を事例として、そのデザイン変化の背景・要因について考察する。

前史(近代鍋の基本型の成立)

19世紀初頭からのクローズド・レンジの導入によって、それまでの開放型の炉(オープン・ハース)で用いられていた丸底の吊り下げ式大鍋や足付き鍋は姿を消し、代わってクローズド・レンジ上のホット・プレートに適した平底鍋が以降の基本型となる。クローズド・レンジの導入は同時に料理法の変化をもたらし、後の小型で軽い鍋のバリエーションを生むもととなった。

鍋材質の変化とその産業史的背景

各時代の鍋材質には常に複数の選択肢があったが、19世紀半ばまでには主たる鍋材質は銅・真ちゅうから鋳鉄に転換した。この背景には、鉄価格の低下と鋳物を魅力的に見せるほうろう仕上げの技術的完成があった。鋳鉄鍋メーカーの多くは、競争相手であった銅やブリキの鍋のメーカーと同様にローカルな金物商/工場として始まるが、やがて海外にも輸出する量産メーカーに成長する。

1890年代にピークに達した鋳鉄鍋は、その後、ベッセルマー法などによって低価格化した鋼鉄を用いた新興メーカーの型押し/プレスの鋼鉄鍋に徐々にとって代わられる。この材質転換は当時イングランド中部の金属加工工業一般に見られた構造的変革であった。

同様の構造的変革は第1次大戦後のアルミニウムへの転換として起こり、1920〜30年代にはアルミ鍋の使用が増大する。鍋は大戦中に生産設備を拡大したアルミ産業の「平和時」の需要先の一つとなった。アルミ鍋のメーカーは各々ブランドネームを持ち、ブランドマークを製品に刻印する新しいタイプの企業群だった。ステンレス・スチールを使用した鍋は1930年代に現われるがその普及は第二次大戦後になる。

鍋タイプ・鍋デザインの巨視的変化

19世紀末から1930年代にかけて、大容量の鍋が徐々に減少する一方、鍋タイプの細分化が進む(※注)。 

最も汎用のソース鍋では、19世紀から1910年代までの典型が、胴の中央が膨らんだ「ベリード・タイプ」の深鍋(多くは鋳鉄の「重い鍋」)であったのに対し、1920年代以降の典型は、浅めの直線的ボディにベークライトなど断熱性素材使用の柄をつけた鍋(多くはアルミの「軽い鍋」)に変わる。

鍋の典型の交代を促した諸要因

以上のような鍋のデザイン変化(典型の交代)は、互いに関連しあう次のような諸要因によって促された。

a. クッカーの熱源の変化(石炭からガス・電気へ。台所は灰や煤のない場所になり、清潔感のある鍋への求めが増加する。特に電気クッカーは、ホットプレートに密着する底の完全に平滑な鍋を必要とし、相接して置ける角型鍋も生まれる。)

b. 日常の料理法の変化(クッカーの変化は、大鍋料理から複数の鍋を同時に使い分ける料理への変化を進めた。軽く小容量の鍋、さまざまに機能分化した鍋タイプへの求めがおこる)

c. クッカーのデザインの変化(ガス・クッカーは1920年代から黒仕上げの鋳鉄製から白いほうろう仕上げへ変わり、クリーンな外観にマッチする鍋への求めがおこる

d. 家庭生活における台所の位置付けの変化(両大戦間に建てられた中流住宅のコンパクトな台所は、かつてのようにサーバントが働く場所ではなく主婦自身が働く場所に変わった。軽い鍋への転換を求めたのはこれらの主婦層であったろう。)

e. 台所空間デザインの変化(1950年代以降になると、台所は調理専用の空間から食事もできるオープンな空間へと変わる。鍋がインテリアデザインの要素として意識される。)

鍋デザインの現在

現在の鍋デザインでは、カラーバリエーションの増加および地中海料理などのグルメ料理ブームにともなう鋳鉄鍋のリバイバル(ともに70年代以降)が特筆される。同時期から流行した「カントリースタイル」の台所に合わせるかのように、麦穂などノスタルジックな絵柄つきの鍋も現われている。

考察・まとめ

1910年代までの英国において鍋のデザインは保守的/固定的であった。特にベリード・タイプの鍋は長年にわたって鍋デザインの定型となり、家庭の台所のシンボルとなっていた。

ベリード・タイプに代表される鋳物鍋から後のアルミへ鍋の転換(主たる鍋材質の交代)は、各素材に特化した鍋メーカーの盛衰と深く関わっていた。

鍋デザインの変化には、クッカー熱源の変化に加えて、日常の料理法の変化、家庭生活における台所の位置付け、台所空間のデザイン変化が影響していた。

外形デザインの顕著な時代的変化に乏しい鍋のような手道具も、各時代の産業/社会/生活の様相を反映しつつ独特の変遷のプロセスを辿っている。

※注:例えば以下のような当時のメイルオーダーカタログに記載された鍋バリエーションの経年比較による。
 'Victorian Shopping'(a facsimile edition of Harrods 1895
 catalogue)(1972),'Get it at Harrods: A Selection from
 Harrods General Catalogue 1929'(reprint1985), Army
 and Navy Stores Limited General Pricelist 1935-36'(1935)等 

(日本デザイン学会 研究発表大会概要集)