模造/捏造/創造? モンゴルの2つのポット「ドンボ」

 

滋賀県立大学では、モンゴルのゲル(遊牧民の組み立て式円形住居。パオは中国式呼称)1棟とその内部の家財道具一式を所蔵している。ゲルはモンゴル北部フプスグル県出身者の制作によるもので1996年に購入、家財道具は近代化以前(あるいは社会主義初期?)の生活様式を想定してウランバートル市で同時期に収集/購入した。この家財道具の中に、今回展示している2つのポット(現地名:ドンボ/Dombo)も含まれている。

ある年、新任のモンゴル研究者からこの家財道具コレクションに疑義が出された。収集された家財道具のうちの多くが本物ではなく、外国での展示を意識して作られた模造品にすぎない、というのである。確かに、家具等の造りは粗く、彩色はあまりにけばけばしく、すべてが現地で実際に使用されていたわけでないこと、つまり中に複製品が多く含まれていることは購入当初から認識されていた。

さらに、展示してあった木製のドンボについて、モンゴルでのフィールドワークの長い研究者(島村一平氏)によれば、これに類するものは現地では一度も目にしたことがなく、博物館や美術館でも類似品をまったく見ないとの訴えがあった。その後、その研究者は現地(ドンド・ゴビ県)で実際に使われて来た金属製の伝世品(アンティーク)のドンボを個人的に入手してコレクションに加えてくれた。  2つのポットの外観デザインを見ると、一見していかにも伝統的と思える方が新製で、円錐の純粋幾何形態に近い(見方によるとスーパー・モダンな形状の)方がアンティーク、という逆転がおもしろい。

このポットは通常、ミルクティ(スーティー・ツァイ。砕いた團茶を煮出して、牛乳と塩かソーダを加えたもの)を入れて、椀に注ぐのに使われる。2つのポットともにある口縁部のベロは、日本の初期型魔法瓶(その名もペリカン型)のそれと同様、椀への注ぎやすさのための形状だろう。大鍋で一度に大量に作るミルクティを椀に注ぎ分けるのに使うだけでなく、このポットに入れたままストーブの上に置いておけば保温あるいは再加熱もできる。(そういう使用法は底についた煤から推定できる。)

実は、この種のポットを現地のゲルで目にすることは現在ほとんどない。代わりに使用されているのは、金属製の薬缶あるいはかつて日本のどの家庭にもあった魔法瓶(真空二重瓶内蔵、鋼板巻き外装)である。魔法瓶の外装に派手な花柄が好まれるのはかつての日本と同じである。卓上に華やかな柄を好むのが彼の地の今の庶民感覚だとしたら、この金属製ポットはあまりに無骨すぎる。

では、模造品と思われていた一方の木製ポットはいったい何を「模造」したのだろうか。(前述したように博物館/美術館などの展示物の中にこれに類するものはないとの証言がある。)それともこれは外国での展示用にまったく新しくデザインされた(「捏造」された)ものなのだろうか。派手な彩色、紋切り型の「モンゴル的」図像(ラクダ、馬追い、旅行用天幕、仏宝など)をちりばめた彫刻、装飾的な持ち手の造形、全体の粗い仕上げ等からすると、どうもそのようにも思える。  しかし、単なる展示用捏造品とするには気になる点がある。ポットの口をよく見るとわかるように、胴体の中にはガラスびんが仕込まれている。つまり、魔法瓶のように間隙は真空ではないものの二重瓶(木製の外瓶とガラスの内瓶の)なのである。木製胴体では漆等の塗装を中に施さない限り長期間の使用には難があるだろうが、手近にあるガラスびんを中に仕込めばうまく液体を保持できる。この構造だとある程度の保温性もありそうだ。展示用だとしたら、わざわざこんな細工を施すだろうか。

ところで、1990年代に社会主義を捨て新生モンゴル国となった彼の地では、チンギス・ハーン以来の自民族の誇りと伝統を復興しようとする大きな機運があるという。ガラスびんを内蔵したモンゴル装飾模様のポットは、外国人にモンゴルの「伝統」を訴求するための創作であると同時に、新生モンゴルで起きようとしている伝統復興の動き中に(もし、そういう動きがあるとして)位置づけられるポットの新デザインであり、新たな伝統の創造/捏造(インベンション・オブ・トラディション)を意図したものではないか。(ここまでくると話が大げさにすぎか?)

二つのポットを見比べていると、以上のような妄想が湧いてくる。

              道具学会研究発表FORUM2009展示発表要旨