滋賀県立大学 高橋美久二のページ

滋賀県立大学10年間の活動
ここでは、『人間文化』(滋賀県立大学人間文化学部紀要)に掲載された活動報告を再録しました。


1996年度
 奈良平安時代の古代道と駅家の考古地理学的な研究をテーマに研究を進めているが、一昨年と昨年と続けて東山道と山陰道で著しい発掘調査の成果があった。とくに山陰道では、現代の山陰道である国道9号線の改良工事関係の調査にともなって、偶然にみつかったものであった。それらの成果を見学に何回か足を運んだ。その成果をもとに、周辺に目を広げて検討を進めている。いま、山陰道がおもしろいといったところである。

1997年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究を進めているが、1997年には「律令制支配と交通体系の整備」(『考古学による日本歴史 9交易と交通』雄山閣出版所収)ほか2本の論文を書いた。また、滋賀県の郷土史関係の仕事もすすめつつあり、彦根市生涯学習通信講座の一講座を担当し「彦根の古代」をテーマに5回の連載講座をおこなった。さらに、滋賀県内の金石文等の文化財に書かれた銘文資料をあつめてデーターベースを作成している。今までに報告されている資料を中心にカードを作成し、1997年度末までに約2500件のデーターをパソコンに入力した。この成果に画像データーベースを加えて、いずれは公開したいとおもっている。

1998年度
 ライフワークの奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、1998年に「古代の交通路」(『古代史の論点 3都市と工業と流通』小学館)、「東山道と中山道」(『近江中山道』近江文化を育てる会編)などの論文を書いた。また、「近江国の道と駅」(帝塚山大学市民大学講座)、「古代山陰道と多紀郡の駅家」(兵庫県西紀、丹南町連続歴史講座「多紀郡の古代を探る」)など11回の講演をおこなった。さらに、古代北陸道につくられた愛発関跡の調査委員会に参加し、98年3月と7月に本学の学生をつれて発掘調査に参加した。残念ながら関跡の明確な遺構は検出できなかった。この調査は今後も継続していきたいと考えている。98年11月には中国湖南省の遺跡見学に行った。その目的は、漢代の二つの有力な国の王墓と王城の比較研究であった。その一つが、湖南省の省都である長沙に王城があった長沙国であり、もう一つが江蘇省の地方都市徐州に王城があった楚国(後漢代には彭城国)である。両国とも漢帝国の皇帝の劉氏の一族が王に封じられた国で、その王墓の構造はそれぞれまったく異なっていたが、その規模はいずれ劣らぬ壮大さであった。歴代の王墓は、いずれも王城の周辺の小高い山に、あたかも生前の居城を見守るかのようにつくられている。その王城の具体的な位置は、どちらも市街化が進んでいて、確定することはできなかった。ただ、長沙の王城は、市街化した長沙の町を丹念に踏査することと、過去の発掘調査の成果を地図上に落とすことによって、大体の感触を得ることができた。今後は、各地の王城をむすぶ交通路も考えてみたいと思っている。
 交通遺跡の調査のほかに、昨年度から滋賀県内の金石文等の文化財に書かれた銘文資料をあつめてパソコンでデーターベースを作成しているが、98年度にはそのデーターベースに画像データーベースを加える作業をおこなっている。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で初めて報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 創刊号』も編集・執筆した。全国の学芸員課程をもつ大学や博物館、資料館、美術館に送付した。

1999年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、1999年に「古代の近江の東山道」(『地理と歴史空間』足利健亮先生追悼事業会、2000年刊行予定)、「交通関係遺跡」(『地球環境調査事典』フジ・テクノシステム、2000年刊行予定)などの論文を書いた。また、「古代の駅と駅路」(奈良歴史地理の会講座)、「古代の山陽道と西国街道」(向日市文化資料館特別展記念講演)など10回の講演をおこなった。この数年、敦賀市教育委員会の要請によって愛発関調査委員会に加わり、北陸道の愛発関の調査にかかわることとなった。昨春と昨夏も厳寒と炎天下に各10日間、本学の学生を連れて試掘調査をおこなってきたが、愛発関の位置を明らかにする成果は出なかった。この調査は次年度も継続していきたい。また、丹波と出雲の山陰道の遺跡の調査にも行って来た。
 99年5月にはロシア沿海州と中国黒竜江省、吉林省にある古代の渤海国の遺跡見学に行った。渤海への旅は、ロシアのウラジオストックから時計と反対の北回りで中国にはいり、ロシアと中国の渤海時代の都、平城、山城、寺院跡、墓、駅跡などを見学しながら、南からふたたびロシアに入って帰ってきた。両国の渤海時代の遺跡の保存状況の良さと、そのスケールの大きさに改めて感激した。もっとも感激したのは、渤海時代の日本への出港基地・東京竜原府の郊外の「日本道」沿いの駅跡と推定されている石頭河子古城、日本への出航の港・ポシェット湾とポシェット湾を望む渤海時代の平城・クラスキノ土城を見学したことであった。日本への出航の港・ポシェットが袋のように湾入の深い天然の良港の地形を示すものであるとわかり、日本側の渤海への出航の港・福良港(石川県羽咋市)のことが思い出された。それは、「福良」の字はもとの「袋」という地名を二字の好字に変えたときにできた地名であろうと考えられ、日本と渤海の両側の港の名が「袋」であったことに、時空を越えた地名のおもしろさにも感激した。また、昨秋には北海道北部の遺跡を見学にいって、そこでロシアの渤海時代の遺跡で出土しているものと同じ帯金具を見学し、当時の交流の広さを実感した。
 交通遺跡の調査のほかに、一昨年度から滋賀県内の金石文等の文化財に書かれた銘文資料をあつめてパソコンでデーターベースを作成しているが、99年度にはそのデーターベースに画像データーベースを加える作業を継続しておこなっている。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で発行している報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 第2号』も編集・執筆し、刊行した。

2000年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、前年に書いた「古代の近江の東山道」(『地理と歴史空間』足利健亮先生追悼事業会、2000年8月刊行)が刊行され、さらに「古代道路研究の現状と課題」(『歴史地理学』第42巻第3号、2000年6月刊行)や「渤海の駅と二十四塊石」(『京都府埋蔵文化財論集 第四集』、2001年刊行予定)、「奈良時代の交通・城陽市の条里遺構・平安時代の交通」(『城陽市史 第1巻』、2001年刊行予定)などの論文を書いた。また、「古代の官衙と交通」(栃木県考古学会大会講演)、「明石駅家と古代山陽道」(サンピア明石歴史教室)など8回の講演をおこなった。また、東山道下野路、北陸道若狭路、山陰道の但馬・因幡・出雲の道、山陽道安芸路、長門路、南海道紀伊路などの遺跡の現地調査にも行って来た。
 2000年には、地域史の調査研究にも積極的にかかわってきた。昨年執筆し編集してきた『亀岡市史 資料編』が刊行され、『南山城村史』の調査・執筆もおこなった。彦根市史関係の調査として、滋賀県立大学に最も近い古墳群である荒神山古墳群の測量調査をおこない、2000年3月からは湖北の木之本町の遺跡分布調査も継続している。2000年夏には、湖北の仏教文化に大きな影響を与えたとされる、木之本町古橋の山岳寺院の測量調査をおこなった。古橋の集落から歩いて2時間半もかかる山中にある寺院跡であるために、キャンプをしながらの調査であった。地元の協力によって、測量調査は大きくはかどり、中世の山岳寺院の伽藍を明らかにすることができ、大きな成果があった。
 このほかに、数年前から滋賀県内の金石文等の文化財に書かれた銘文資料をあつめてパソコンでデーターベースを作成しているが、99年度にはそのデーターベースに画像データーベースを加える作業を行い、さらに200年度には滋賀県以外にも地域を広げてデーターを集めて、入力をおこなっている。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程でおこなった、実習の成果などを報告する『滋賀県立大学学芸員課程報告書 第3号』の編集もおこない、刊行にこぎつけることができた。

2001年度
 ライフワークとして進めてきた奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、京都大学大学院文学研究科に申請していた学位論文「古代交通遺跡の研究」で、文学博士の学位を授与された。前年に書いた「渤海の駅と二十四塊石」(『京都府埋蔵文化財論集 第四集』、2001年3月刊行)、「奈良時代の交通・城陽市の条里遺構・平安時代の交通」(『城陽市史 第1巻』、2002年1月刊行)が刊行された。今年度には「歴史地理学的に見た八風街道」(滋賀県教育委員会『中近世古道調査報告4』)、「古代の官衙と交通」(『栃木県考古学会誌』第22集)、「勢多橋」(国立歴史民俗博物館『歴博 No.108』)などの論文等を書いた。また、「古代の山陽道と芦屋駅家」(神戸市埋蔵文化財センター企画展記念講演)、「近江の古代交通」(同志社大学2001年度学際科目「近江の自然と文化」)など13回の講演をおこなった。また、東山道下野路、山陰道の因幡道、山陽道摂津・播磨・備後路、三重県熊野古道伊勢路などの遺跡の現地調査にも行って来た。
 交通遺跡関係以外の調査では、滋賀県下の条里制遺構の調査、銘文史料の集成研究、木製埴輪の調査研究、箸・匙の食文化の遺物の研究も進めた。
 2001年にも、地域史の調査研究にも積極的にかかわってきた。昨年執筆し編集してきた『城陽市史 第1巻』が刊行され、『南山城村史』の刊行も大詰めにきた。彦根市史関係の調査として、滋賀県立大学に最も近い古墳群である荒神山古墳群の測量調査を2001年度もおこなった。2000年からはじめた湖北の木之本町の遺跡分布調査も継続しているが、2001年にも2000年夏に引き続いて、木之本町古橋の山岳寺院のキャンプをしながらの測量調査をおこなった。これらの成果を、本学の学生たちと一緒になってまとめて、『木之本町埋蔵文化財調査報告書第2集 木之本町遺跡分布調査概報 1』として刊行した。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で発行している報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 第4号』も編集・執筆し、刊行した。全国博物館学講座協議会西日本部会で編集を進めてきた、新カリキュラムに準拠する『概説 博物館学』の編集・執筆に参加し、ようやく刊行されることとなり、2002年度から教科書として利用することができるようになった。

2002年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、前年に書いた「交通関係遺跡」(『地球環境調査事典』フジ・テクノシステム、2000年刊行予定)、が刊行された。今年度には「古代の官道と官衙」(『季刊考古学』第80号)、「地図・地名」「遺跡」(京都府相楽郡南山城村『南山城村史 資料編』)、「古地図に見る景観の変遷」他(長浜市『長浜市史 景観編』)などの論文等を書いた。また、『最新地理学用語辞典』(大明堂刊)、『歴史辞典』(小学館刊)などの辞書の一部の項目を分担した。また、山陽道備中路・備後路、兵庫県落地遺跡(播磨国野磨駅跡)、広島県前原遺跡(備後国芦田駅跡)などの交通遺跡の現地調査にも行って来た。
 交通遺跡関係以外の調査では、滋賀県岐阜県下の条里制遺構の調査、銘文史料の集成研究、箸・匙の食文化の遺物の研究も進めた。
 2001年にも、地域史の調査研究にも積極的にかかわってきた。昨年は『城陽市史 第1巻』が、今年は『南山城村史 資料編』が刊行され、『長浜市史 景観編』の刊行も間近い。彦根市史関係の調査として、滋賀県立大学に最も近い古墳群である荒神山古墳群の測量調査を2001・2002年度もおこなった。今回の測量調査では、新たに荒神山の頂上で大規模な前方後円墳が確認され、それを対象に測量を実施した。古墳は全長約114mに達し、滋賀県下第3位の規模の古墳時代前期の古墳であることが判明した。2000年からはじめた湖北の木之本町の遺跡分布調査も継続している。2002年にも古墳や氷室など測量調査をおこなった。これらの成果を、本学の学生たちが中心になってまとめて、『木之本町埋蔵文化財調査報告書第3集 木之本町遺跡分布調査概報 2』として刊行した。これらの調査には、私の体調が悪く全面的には参加はできなかったが、高橋ゼミの院生・学生を中心にしてよく調査・刊行までこぎつけた。私の体調不良のおかげで、ゼミ生達の成長ぶりを確認できて嬉しかった。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で発行している報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 第5号』も執筆し、刊行した。全国博物館学講座協議会西日本部会で編集を進めてきた、新カリキュラムに準拠する『概説 博物館学』が刊行され、2002年度から教科書として利用することができた。

2003年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、「古地図に見る景観の変遷」(『長浜市史 第7巻』、2003年3月刊行)、「古代の「北国街道」と「北国脇往還」の歴史地理」(滋賀県教育委員会『中近世古道調査報告7』)などの論文で、従来は『延喜式』に駅名が載せられている官道のみが古代道路としてとりあげられてきたが、主要官道と官道を結ぶ連絡道も古代の道路網であることを述べ、その例として近江の二つの道を論じた。また、研究会では「古代の瀬戸内海航路」(第2回石棺文化研究会、於大阪歴史博物館)、「駅家の構造」(古代官衙・集落研究集会「駅家と在地社会」 於奈良文化財研究所)などの発表をおこなった。さらに、「街道をさぐるー古代山陰道についてー」(ささやま市民文化講座「丹波の文化とくらし」)、「平安京と交通」(京都SKY大学 京都の歴史3)などの講演をおこなった。交通関係遺跡の現地調査では、山陽道踏査(備後・安芸路)、山陽道駅家遺跡の前原遺跡(備後国芦田駅跡)、落地遺跡(播磨国野磨駅跡)などの遺跡の現地調査にも行って来た。
 交通遺跡関係以外の調査では、滋賀県下の条里制遺構と古代荘園の調査、銘文史料の集成研究、箸・匙の食文化の遺物の研究も進めた。
 2003年10月には滋賀県内の考古学研究者が集まって実行委員会を組織して、滋賀県立大学で日本考古学協会の滋賀大会を開催することもできた。私の研究室を事務局としたが、多くの人の協力、とくに本学の学生や卒業生の全面的な支援によって、成功することができた。
 2003年にも、地域史の調査研究にも積極的にかかわってきた。『長浜市史』景観編に執筆し、『近江八幡市史』街道と町並み編も執筆中である。一昨年来執筆し編集してきた『南山城村史 資料編』がようやく刊行され、ついで本文編も執筆した。彦根市史関係の調査として、遺跡分布調査や測量調査、遺物実測調査の成果をまとめつつある。本文編の準備も進行中である。2000年からはじめた湖北の木之本町の遺跡分布調査も継続しているが、2002年度にまとめた報告書『木之本町埋蔵文化財調査報告書第3集 木之本町遺跡分布調査概報2』もようやく刊行された。2003年度にも木之本町西山の小山古墳群の測量調査の指導をおこなった。これらの成果を、本学の学生たちと一緒になって本報告書としてまとめる作業も続行している。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で発行している報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 第6号』には、匙の食文化の遺物の研究と収集の成果を発表し、そのの一部を執筆した。

2004年度
 奈良平安時代の古代交通の考古地理学的な研究では、「古代の北陸道の歴史地理」(滋賀県教育委員会『中近世古道調査報告8』)で古代官道の北陸道の近江路の復原研究を試み、「駅家 関 津・泊」(『古代の官衙遺構 2遺物編・その他遺構編』、(独法) 奈良文化財研究所)、「駅家の構造」(『駅家と在地社会』(独法) 奈良文化財研究所)では、駅家の遺跡の考古学的な調査成果によって、駅家の防御的な性格などを論じた。また、「近江中山道の今昔」(平成15年度豊郷町淡海文化講演会)などの講演もおこなった。交通関係遺跡の現地調査では、山陽道踏査(安芸・周防路)、近江の鯖街道(九里半街道)と塩津街道(七里半街道)、中山道踏査(信濃路)など、山陽道駅家遺跡の落地遺跡(播磨国野磨駅跡)、矢部遺跡(備中国津崎駅跡)、馬屋遺跡(備前国高月駅)、古代道路遺構では滋賀県野洲市夕日丘北遺跡、岡山県大原町中町遺跡などの発掘中の遺跡の現地調査も行なった。
 交通遺跡関係以外の調査では、滋賀県下の条里制遺構と古代荘園の調査も進め「近江国甲賀郡条里と弘福寺領蔵部荘」(『歴史地理学』46-2(218)、歴史地理学会)を書いて、従来復原研究ができていなかった甲賀郡条里を具体的に復原し、奈良時代の弘福寺領蔵部荘をはじめて甲賀郡(現在の甲賀市)甲南町寺庄に比定することができた。さらに、「綴喜郡条里と地名」(『筒城』第50号、田辺郷土史会)なども発表した。さらに、滋賀県の小字名調査、古代官衙遺跡調査、銘文史料の集成研究、箸・匙の食文化の遺物の研究も進めた。
 2004年も、地域史の調査研究に積極的にかかわってきた。『近江八幡市史』街道と町並み編に執筆した「東山道」もようやく刊行された。彦根市史関係の調査として、遺跡分布調査や測量調査、遺物実測調査の成果をまとめて「荒神山周辺の遺跡分布調査」「佐和山周辺の遺跡分布調査」「古代寺院の資料」(『「新修彦根市史」編さんにともなう彦根市内遺跡・遺物調査報告書』、彦根市史考古部会)を書いて刊行した。本文編の準備も進行中である。数年来執筆し編集してきた『南山城村史 本文編』もようやく刊行される日が近づいた。京都府北部の『加悦町史』にもかかわることになり、地籍図を担当して調査・執筆中である。
 博物館学芸員課程の教育、研究もおこない、学芸員課程で発行している報告書『滋賀県立大学 学芸員課程報告書 第7号』の一部を執筆した。


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