県大ミニ博物館 過去に実施した展示の紹介

ふえ 〜魅了する世界の音色〜 (1998)
展示企画者 真木 玲奈(人間文化学部)
1.展示の趣旨
 地球上にはいたるところに文化がある。そして文化のあるところに“ふえ” がある。文化のあるところに“ふえ”は生まれ、伝えられ、継承され、発展してきた。
 “ふえ”が楽器の一つであることは言を待たないが、何故、“ふえ”なのか。“ふえ”をたんに楽器の一種と類し、片付けてしまうのは忍びない。どうも、それ以上の力を持っていると思われるのだが、どうだろう。そのあたりを少し探ってみた。
 
2.解説パネル
○“ふえ”とは。
 楽器は大まかに分けて三種類ある。管楽器、弦楽器、打楽器。“ふえ”は管楽器の一種である。息を吹き込んで鳴らす楽器である。管楽器には“ふえ”(木管楽器)に対し、もう一つ“らっぱ”(金管楽器)と類することのできるものがある。
 “らっぱ”と“ふえ”の違いは音の発生源、振動するものによる。“らっぱ”は唇の、“ふえ”はリードの振動によって音が発生する。リードとは、音造りのきっかけになるものと思って頂ければよい。息によって震えやすい、小さな薄い板状のものである。サックスやクラリネットは、その典型例である。いわゆるリードのない“ふえ”もあり、「エア・リード」と呼ぶが、日本では、こちらが主流である。小・中学校で習うリコーダーや祭で活躍する横笛、虚無僧の吹く尺八など、みなこの仲間である。「エア・リード」とは、リードの果たす役割を、息が楽器と接したときに起こす気流が担っていることからそう呼ぶ。
 日本に古くから伝わるリード楽器は、篳篥・笙・そしてチャルメラくらいのものである。リード特有のうるささが、日本には馴染みにくかったのだろう。やはり、呼吸そのものから生まれる音色の方に重きを置いたのだと思う。
 
○“ふえ”の発生。
 つつ、がある。竹。葦。空洞になったケモノの骨。そこに風が吹き込まれ、音が鳴る。口に当てて吹いてみる。鳴る。うれしくなる。小躍りする…… と、“ふえ”の発生はそのように推測されている。
 以上のような過程を経て、世界各地で縦笛が生まれた。吹き口を工夫したり、違う音の出るものを集めて吹いたり、筒自体に穴を空けて出る音を増やしたり…… 世界各地の縦笛は、地方ごとに特徴がある。問題は、横笛である。
 “ふえ”といえば、日本に馴染み深いのは横笛の方である。しかし、世界に目を向けると、横笛は限られた場所にしかない。縦笛は、それこそ文化のある所、即ち世界中にある。一方横笛は、東洋とインディアンの一部にしか存在しなかった。今でこそ、西洋にはフルートがあるが、それとて、原形の六孔のものがドイツに初めて現れたのが12世紀頃。オーケストラにフルートが編成されたのは18世紀になってからなのである。
 横笛の吹き口は、縦笛と違って種類が少ない。フルートも、日本の祭囃子の笛も原理は同じなのである。すると。どこか?? おそらくインド?? で発見された吹き方が、世界中に伝播したのだと思われる。地球は丸いのだ。

○“ふえ”の語源。
 “ふえ”とは「ふきえ」(吹き枝・吹き柄)からできた言葉だ、という説もあるが、“ふえ”の奏でる音色そのものが語源であるという説が有力である。
世界各地での“ふえ”に目を向けて見よう。
 
ピウェ(ミャンマー) ピー(タイ) ペイ(カンボジア)  ピップー(フィンランド) フュール(アルバニア) プー(ニュージーランド)
ピリ(韓国・朝鮮)  ピュー(ハワイ) フィアウト(イタリア)
 
 “ふえ”の音を思わせるF、P音で始まるものをならべてみた。有名なフルートは吹く、という意味の“flo”という言葉から出来ているが、その“flo”自体、音が語源になっていると思われる。おそらく“ふえ”は「フェー」という音から出来たのであろう。そうすると気流が作る振動が生み出す音、「屁」も音を語源とした“ふえ”の仲間であろうか。なんとも風流なことである。

○“ふえ”のふところ。
 “ふえ”は、音階を奏でるものだけではない。ホイッスルや、うぐいす笛、水笛…… みんな“ふえ”である。他の楽器と比較した際の笛の特徴は、そのふところの大きさにあるのではないか。なにしろ、様々な形をしているのである。息そのもので勝負するので、大きさには限度があるのだが、その代わり、小ささでは他の楽器の追随を許さない。そして、小さいながらも少しの力で遠くまで響き渡る音を出すことができる。合図に適しているのだ。呼び子を思い浮かべていただけるとよい。また、人の耳には聞こえない高周波を出すのも得意で、「犬笛」というものがある。
 
○“ふえ”は祈りである。
 息。イキは“生きる”に通ずる。呼吸は生命を意味するのだ。このような “息”の意味の広がりは世界中で見られる。ギリシャ語のプシケ(psyche)は息であり、霊魂であり、精神・心である。
 呼吸を調えることはすなわち生命を調えることとなる。神道においては、禊の際、呼吸法(息吹・息吹・息長)が欠かせない。禅においても、そうである。数息観、息念、といわれる法がある。呼吸を一つ一つ大事に行ない、それを数えて心の散乱をとどめ、精神の統一をはかるのである。座禅の基本は正しい姿勢と正しい呼吸なのだ。
 “ふえ”は息を吸い、吹くことによって音を奏でる楽器である。高度な技術を要する“ふえ”を吹き、美しい音色を出すためには修練が必要である。それには生命ともいうべき息を正しく整えて吹き込み、また吸わねばならない。“ふえ”の音には命が込められるのである。つまり、祈りといってよかろう。そして、エア・リードの“ふえ”は呼吸そのものが楽器を通してより美しい音色に変わる。リードやマウスピースなどの夾雑物もない。正しい息から生まれる音色は、神をも呼び寄せるのだ。
 
○“ふえ”の力。
 “ふえ”の音は人の心をくすぐる。世界に伝わる話をいくつか紹介しよう。
 横笛を生み出したとおぼしきインドには、横笛を吹く神がいる。クリシュナである。彼の奏でる音色はたとえようもないほど美しく、一度その音を耳にしてしまった女性は何もかも手に付かなくなった。そしてとうとうインド中の女性が夫も子どもも家庭も放り出してクリシュナのもとへと走った。
 「月夜の如く美しいあなたのお姿を拝見しに参りました」困ったクリシュナはそれぞれをなだめて家へ帰らせようとしたが、
 「あなたの笛の音のために夫も子どもも捨ててきましたのに!」インド中の家庭の平穏を壊すことは本意ではないクリシュナは、集まってしまった女性の数だけ自分の分身を作ってそれぞれに与え、満足させた後に家へ帰らせたという。
 “ふえ”の音は特に女性に効き目が現われるものと見える。アメリカのインディアンにも次のような話がある。
 いつも振られてばかりの青年が、彼女の心を射止めるため、まじない師に弟子入りして笛を習った。血のにじむような研鑚を重ねた末、免許皆伝の腕前となった。そこでさっそく笛を吹きながら彼女の家に近づいていった。するとそれまでは呼んでも出てきたことのない彼女が、笛の音にひかれて外へ出て、彼の到着を待ちわびていたとか。
 また、ヨーロッパではセレナーデ(夜、恋人の家の窓の下で奏する曲)に笛を使うことが禁止されていた、という話がある。若い娘に大変よろしくないからである。
 世の男性諸君も“ふえ”を吹いてみてはどうだろう。

○“ふえ”の功徳譚。
 日本でも“ふえ”は妖しい力を持つ。特に、笛の音が女性を惹きつける、という説話は数多くある。中世の御伽草子の『梵天国』に代表される「笛吹き聟」型の説話は、男の奏でる笛の音の素晴らしさに、天女が妻になるというものである。勿論、その事に付随して、夫婦は数々の難問に直面するのだが、男の吹く笛の音で、危機を脱することができる。相手が天女、とまでは行かなくても、笛が男女の仲を取り持つ、という型の説話は、中世にはとりわけ好まれていたらしい。
 その他、“ふえ”の力ということでは「継子と笛」という型の話がある。継母にいじめ抜かれる毎日を送る継子の唯一の心の支えは、笛。とうとう継母に殺された時、その継母の悪行を暴いたのは、残された笛であった。ひとりでに歌い出したのだ…… というものである。これは、笛ではなく鳥とする型の話もあるのだが、やはり、他の楽器ではだめなのであろう。もっとも、これは笛の力がそうさせたというより、笛がそれだけ庶民に親しまれているものであった、という事なのかもしれない。
 日本の物語史上で笛の上手といえば、源義経をおいてはあるまい。義経にまつわる逸話は数多くあるが、何といっても有名なのが、五条の橋の上での弁慶との対決。雲突くほどの大男・弁慶の薙刀をひらりひらりとかわし、高下駄で橋の欄干にひょいと飛び上る少年はその時、笛を吹いていたのだ。義経が笛の腕前を生かす物語は、他にも多く生まれ、御伽草子の『御曹子島渡』『浄瑠璃姫物語』や幸若舞の『烏帽子折』等になっている。
 16歳で須磨の海に散った平家の公達、敦盛のことをご存知だろうか。彼はその若さゆえに死を惜しまれ、数々の説話が生まれた。だが、その源平合戦の折、同じく16歳で死んだ公達が、他にもいる。平知盛の子息、知章である。彼は筋目からいえば、敦盛より上である。そして、その死に様も、親を討たせまいとして敵前に身を呈した、という悲壮極まるものである。だが、知章は敦盛ほどに口の端に登らない。それはなぜか。
 私は、笛を吹く、という事が敦盛にとって有利な要因となったのではないかと思う。『平家物語』によると、敦盛は戦場にまで上皇ゆかりの名笛「小枝」を携えていた。死の前日にも吹いており、その音色は首を刎ねた張本人、熊谷次郎直実の陣屋まで聞こえていた。直実は首を刎ねた後に、笛を見つけて「昨夜の笛の音の主はこの公達であったか」と、哀れさを一層もよおされ、ついには世をはかなんで出家し、敦盛の菩提を弔う日々を選択したのだ。笛をたしなむ少年が、首を斬られた。そのほうが、世間の涙を誘いやすかったのではないか。


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