県大ミニ博物館 過去に実施した展示の紹介

昔なつかしグリコのおもちゃ大集合! (2001年度)
展示企画者 
中村 睦(人間文化学部) 
1、展示の趣旨
 だれもが知っているおまけつきのお菓子「グリコ」。グリコのおまけも時代と共に変化していますが、常に私たちを魅了し続けています。おまけを前にすると、大人も子供の頃のなつかしさがよみがえってくるのではないでしょうか。展示品は、昭和30年頃に私の母が集めたものです。木やブリキで作られたおまけもあり、プラスチックではなかなか感じられないぬくもりが伝わってきます。
 こうして昔集めた「グリコ」のおまけの思い出だけでなく、これらをきっかけとして、子供の頃の記憶をよみがえらせ、忙しい日常生活のなかで、止まった思い出の時間を過ごして頂ければ幸いです。また、この展示品の時代を知らない方にも「グリコ」のおまけの歴史を知る参考にして頂きたいと思います。

2、展示品の一覧
グリコのおまけ−136個
@ 家電製品類(31個)
A 乗り物類(48個)
[船(10)車(34)飛行機(4)]
B 標識類(7個)
C 建物類(8個)
D 動物類(14個)
E 生活道具類(12個)
F その他(16個)

3、展示の内容
 展示ケースはローケース(高さ35cm×幅138cm×奥行65cm)を使用しました。二段式の左側の上段にキャプションを設置しました。見やすくするために、グリコの色を象徴する赤色の布を全体に敷き、各部類ごとに白い布をその上に敷きました。部類は「@家電製品類A乗り物類B標識類C建物類D動物類E生活道具類Fその他」の7つとします。一方的な展示にならないように、見た者の感想を書いてもらうためのノートも設置しました。名前を書くのが嫌な人もいると思われるので、匿名制としました。こうすることによって、ダイレクトな感想を得ることができ、見た者の視点も感じられるのではないかと考えました。
 パンフレットは、遊び心をふんだんに取り入れました。切り取ると、グリコの箱ができるようになり、おまけの写真も切り取れるようにしました。パンフレットの内容は開けて左に展示の趣旨、右にグリコのおまけの歴史を配置しました。また、切り取ってからも内容を読み返すことができるようにしました。

4、グリコのおまけの歴史
 「子供にとって食べることと遊ぶことは二大転職である」という創業者江崎利一の哲学により、おまけつき栄養菓子「グリコ」(キャラメル)は生み出されたのでした。そもそも「グリコ」は非常に栄養価の高い「グリコーゲン」なる物質を育ち盛りの子供のためにお菓子にしようと生まれたものであり、「食べる」お菓子と「遊ぶ」おもちゃの組み合わせは、非常に斬新な発想の発売でした。しかし、販売当時は、キャラメル業者が50軒余りから10軒余りに減少し、販売は容易ではありませんでした。そのため他社製品にはない特徴が必要になり、江崎氏は他社より目立つ「名称(呼び名)」、「パッケージ」、「商標(トレードマーク)」を考えるのでした。まず、名称はグリコーゲンにちなみ、簡潔で覚えやすい「グリコ」に決定します。そして、パッケージは目立つ赤、それも品のよさと食欲をそそる色を追求し、あの特徴ある赤い箱が誕生します。そして、商標のゴールインマークは神社の境内でかけっこをしている子供が両手をあげてゴールインする姿から由来したのでした。
 こうして、栄養菓子「グリコ」は1922年(大正11年)に発売され、その後もカルシウム、ビタミン、チョコレートを入れるなどの改良が加えられ、全国的に売れるようになります。また、発売当初はカラーカードがおまけであって、現在のようにおもちゃが入れられるのは1927年(昭和2年)からでした。グリコのおまけは、2〜3ヵ月サイクルで切り替えられるため、今まで作られた種類は2万数千種におよび、その数は約40億個にものぼります。
江崎記念館−公式ホームページ−
http://www.glico.co.jp/kinenkan/seikatu/seikatu.htm

5、解説パネル
● グリコのおまけ(展示ケース内)
誰もが知っているおまけつきのお菓子「グリコ」。おまけも時代と共に変化してきましたが、常に子供たちを魅了し続けています。
グリコのおまけは、2〜3ヵ月のサイクルで切り替えられるため、今まで作られた種類は2万数千種にもおよび、その数は約40億個にもなると言われています。
展示品は、昭和30年頃に収集されたもので、約130個にもおよびます。当時は1個10円で、木やブリキで作られたおまけもあり、プラスチックではなかなか感じられないぬくもりが伝わってきます。

● おまけの移り変わり
現在のおまけの素材はプラスチックですが、展示品の集められた昭和30年代後半ではプラスチックは夢の素材でした。ブリキや木材からプラスチックへ移る時代が、ちょうどこの展示品の集められたころで、素材の違いが分かります。
また、展示品の中には、現在では見ることのできない真空管ラジオや、手動の脱水機がついた洗濯機など、時代を表すおまけもあります。是非探してみてください。
展示のおまけとして、グリコのおまけに対する思い出をいろいろな年代の人にインタビューしてみました。みなさんには、どのような思い出がありますか?もしよければ、思い出もしくは展示のご感想をノートにお書きください。

● カラーテレビ
昭和30年代に白黒テレビが普及し、昭和40年代にはカラーテレビが普及します。当時はカラーテレビとクーラーと車(Car)をあわせて「3C」などと呼びました。

● 洗濯機
ロール式の絞り器がついた電気洗濯機。昭和30年代当時は、洗濯機や冷蔵庫や白黒テレビが普及し始め、その三つを天皇の位のしるしになぞらえて「三種の神器」などと呼ばれました。

● (真空管)ラジオ
テレビが高級品だったころ、ラジオはまだ身近なもので、広く普及されていました。テレビが普及されるまでは情報源は新聞とラジオだけでした。また、テレビの発達した今日でもラジオは活躍し続けています。

● ダイアル式電話
かつては家庭用電話といえばこの姿でした。現在のように一家に一台というわけでもなく、近所の家に電話を借りに行くという時代もありました。昔の電話は高級品ということもあり、受話器にカバーや座布団を敷いてあったりしていなかったでしょうか?また、あわててかけて番号を間違えてしまった経験はないでしょうか?

● おまけの思い出(展示用)

@おまけは楽しみだった。食べること以外に、もうひとつ楽しみがあってワクワクした。どんなおもちゃが入っているのか、とても楽しみだったけど、それを目当てにいくつも買う、ということはなかった。けっこう集めてる人もいた。(53才 女性)

Aグリコやカバヤのキャラメル等、一日の小遣い10円を持っては、その日、その時の友達と我先に買って景品を確認し、自慢したり交換したりして収集していた。(53才 男性)

B遠足のおやつといえばグリコでした。あと、おまけはプラスチックだったけど、子供が小さかったころに買ったのは木製でした。
そういえば、中身は丸型からハート型に変わったよね。(30代 女性)

Cおまけが楽しみでよく買ったなぁ。集めはせんかったけど。あれは昔から人気のお菓子やった。おまけの素材はセルロイドが多かったな。(70代 男性)

D好きだね。小さくて、やさしいおもちゃって感じがして。今、まだ売ってんの?買いに行こう!(21才 女性)

E毎日、一日10円もらえる小遣いを持ち、3才違いの兄と一緒にグリコのおまけ付きキャラメルを買いに行くのが楽しみで、子供心にワクワクしたことを覚えております。(50才 女性)

6、ノートに書いていただいた御感想
・ブリキや木製のものは初めて見ましたが、こっちのほうがプラスチックよりいいなって思いました。(18才 男性)

・実家が駄菓子屋だったのでよく覚えています。プラスチック製の乗り物のおまけは私も持っていました。(30才 女性)

・私もグリコのおもちゃを集めていたので、とても興味をひかれました。集めた時代的には、プラスチックばかりなので、ブリキや木材のおもちゃほしいです。(21才 女性)

・今のおもちゃはこってるものが多いが、グリコのおもちゃはシンプルで親しみが感じられた。(20才 女性)

・おまけにひかれ買っていたグリコ。すごく懐かしかったです。昔のおもちゃはブリキや木でできていて、すごいあったかい感じがしてかわいいです。(18才 女性)

・グリコなつかしいです。昔のおもちゃとてもほしいです。パンフにも感激です。(18才 女性)

・今回グリコのおまけを見せていただき、とてもうれしく、なつかしくて感激です。私も少しグリコのおまけを持っています。これからもおまけを集めていきたいです。(37才 女性)

・ひとつぶで300m(→100mやったような気もしたんですが…)というキャッチフレーズが大変印象に残っています。子供心にこれは只のキャラメルではない!たいしたもんだ…?と思っていました。(28才 女性)


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