県大ミニ博物館 過去に実施した展示の紹介

江戸っ子 〜15cmの人間が住む江戸の家 (2001年度)
展示企画者 
山田 恵理(人間文化学部) 
1、展示の趣旨
 東京にある深川江戸資料館を訪れて、実物大の江戸時代の家を見てきた祖母が、昔の人々の工夫や日本らしさに感動し、それを私たちにも伝えようと、板や菓子箱などを使い、15pくらいの人間に合わせた長屋を模型で再現してくれました。
 じっと見つめていると、中に入って自分がそこで生活しているような気分になります。この展示を通して、少しでも多くの人にその気分を味わってもらいたいと思いました。

2、展示内容
 長屋の中の、大家の家と師匠の家を展示しました。両サイドには、共同井戸、共同便所、屋台を置きました。また、家の中にあるさまざまな生活用具が、どのようなもので、どのように使われていたのかが分かるように、写真に撮って拡大し、説明をつけたものを展示しました。

3、解説パネル
(1)大家の家
 長屋とは、数個の同じ型の住居を連結して一棟に建てた家のことをいう。江戸時代の末期頃は、江戸に人口集中がみられ、長屋住まいが発達し、庶民の住居として密集し、町の裏通りに裏長屋の形がみられた。(表通りは主に商家などであった。)細い路地をはさんで向かい合わせに家が並んでいたようである。これらの長屋では、大部分が共同井戸、共同便所であった。
 そうした長屋の中には、長屋の所有者、または管理を任された者がいた。いわゆる大家である。この家は、比較的裕福な大家の家を再現したものである。大家は、長屋の住人の親ともいうべき立場でいろいろと住人の面倒をみてきたといわれている。

(2)師匠の家
 小さな長屋の一つであり、この家では師匠が近所の子どもたちに読み書きを教えたり、女の子に三味線などの芸事を教えたりしていた。
 子どもたちが7,8歳くらいから算術、漢文の素読、裁縫などを学びに行く「寺子屋」もあったが、こうした一般庶民の家で教えることもあったようだ。

(3)炊事道具
●かまど
日本での使用は古く、古墳時代の竪穴住居にも多くみられた。「へっくい、くど」とも呼ばれ、かまや大なべをのせる台を土で作り木片を燃やして炊いた。煮炊きは薪を使った。火消し壷は必需品であった。さっと火を引いて壷に入れた。いいおきができて行水の湯もこれで沸かした。
●七輪
「銭一分もいらず、七厘ほどで炊事ができる」から七輪という。元禄以前に起こった小型の火の道具。きめこまかな調理に用いられてきた。

(4)暖房機
●長火鉢
江戸町屋に欠かせない生活用具。江戸時代の初め、木炭は武士のみが使っていたが、やがて一般的に使われるようになった。木炭を使った暖房器具であるが、さまざまな機能を備えていた。火鉢の中に銅壷が入れてあり、ここで湯を沸かし、燗をつけた。五徳をいれて鉄瓶をかけた。銅壷の反対側では小鍋をのせて食卓になる。引き出しには乾燥機としての煙草、のりなどを入れた。
*陶器の火鉢の中には、土瓶で湯を 沸かせるようなものや、単に手あ ぶりとして暖をとるだけの小さな ものもあった。

(5)食生活
 江戸時代、八百屋さんの店先に並んだ野菜や果物は現代と変わりがない。当然のことながら、「洋野菜」や「中国野菜」はなかった。現在とは、嗜好が多少異なり、たとえばキュウリも白瓜が多く、タデやミョウガ、芽ショウガなどの添えもの、香辛料的な役割を果たす野菜が多く使われていたようだ。当時の地方の人々は、麦やヒエ、アワ、ソバ等の雑穀、あるいは大根やイモなどの野菜類を混ぜて飯を炊いていた。副食物の少ない当時の食生活において、ビタミンの豊富な野菜は人々の健康を守る大切な食品であった。
*まな板、包丁、しゃもじ等は現在と同じ。水がめは、井戸からくんできた水をためておくのに使った。

(6)衣類
●着物
男性用は身長にあわせた着丈があり、袖は財布等を入れるために縫いつけてあった。女性用は三八ッ口といって、着付けのとき手が入るように袖があいていた。腰でたるませるため丈は長かった。
●枕びょうぶ
座敷びょうぶとは違って丈が低く、夜寝るときに枕元に立てた小さなびょうぶ。隙間風を防いだり、昼間は押し入れなどが十分にないため、たたんだ布団を部屋の隅に置いて囲んだりするのに利用した。
●衣桁
着物をかけておく家具。現在でも利用されている。

(7)勉強道具
 文字の読み書きを習う師匠の家や寺子屋で使われた本、すずり、筆。掃除をするほうきやほこり取りなど、現在と同じ。

(8)屋台(そば屋)
 江戸の町に食べ物屋ができ始めて庶民が気軽に外食を楽しめるようになったのは、享保(1716〜1736)前後からだといわれる。それより早く、寛文4年(1664)「けんけんうどん、そば切りというのもでき、下々買い喰う」また、廷宝元年(1673)「浅草正直そば始む」などという記録もあって、うどん、そば屋の始まりは早い。

(9)家財道具
●灯火
油皿に油を入れたり、ろうそくを立てたりして火をとぼす簡単なものから、風を防ぐために箱型の木わくに紙を張り、中にともし油を入れた皿を置く、あんどんと呼ばれるものまでさまざまなものがあった。
●石うす
「ひきうす」とも呼ばれ、上下2個の丸い石から成り、上のうすを回して穀物を粉にするものである。そば粉などを作った。
●酒だる
当時は一升瓶などなかったため、たるの中に酒を入れ、線をぬくと酒が出るようになっているものがあった。
●蚊取り:現代の蚊取り線香の原料である除虫菊は、明治20年にオーストリアから輸入された。それまでは、古くから青菜や木片を燃やしていた。この形の他に豚の形のものもあった。

(10)便所
 共同便所。「惣後架」という。戸は低くつくられ、入っている人の頭が見えた。朝夕の混み方は相当なものであり、溜まり方も大変だった。だが、これは近郊の農民が買いに来た。化学肥料のない当時、人間の排泄物は大切な肥料であった。下肥という。一人一年分の排泄物が米一斗(約 14kg)の値段だった。これはすべて家主に支払われた。農民たちは、畑でとれた野菜や漬物をもってきた。これも家主のものになった。汲み取った下肥は、馬や舟で農村に運ばれ、有償で分配された。やがては商品化されて、これを取り扱う問屋が出現した。

(11)井戸
 井戸は共同井戸。地面を掘り、地下水をくみ上げるようにしたもの。一方のつるべを引いてもう一方で水をくむ。朝の洗面、口すすぎや洗い物をはじめ、台所が狭いから魚や野菜の下ごしらえはここでした。女房たちの社交場、井戸端会議は毎日ここで行われた。7月7日、七夕の日は年に一度の井戸浚い、長屋連中総出であった。井戸が掘れなかったり、水が悪いところには水売りが来た。

4、参考文献
「江戸こぼれ話」文藝春秋編 文春文庫
「浮世絵に見る江戸の一日」 藤原千恵子編 河出書房新社
「深川江戸資料館」資料
「世界大百科辞典」 平凡社
「ビジュアル日本の歴史」  清原伸一編 ディアゴスティーニ


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