県大ミニ博物館 過去に実施した展示の紹介

耳かきの世界 (1998)
展示企画者 山口 典子(人間文化学部)

1.展示の趣旨
 私は、中学1年の頃からの耳かきを集めている。今では180本以上の耳かきがある。デパートで、江戸の職人技の催し物があり、そこで竹細工の耳かきを買ったのが最初である。その時は、別に耳かきを集めようと思ったわけではないが、旅行に行ったり、各地の物産展に行ったりすると、それまでは興味がなくて気にとめていなかったが、よく見ると地方色豊かないろいろな種類の耳かきがあるのに気付き、各地の耳かきを集めてみたくなった。耳かきを集めているうちに、耳かき自体に興味がわいてきた。 そこで今回耳かきについて調べ、展示して広く知ってもらおう、と考えた。
展示内容としては、出土遺物に見られる耳かき(主に中国)や、現在の耳かきなどを素材によって竹・木、金属、骨角類、その他、に分類し、パネル展示するとともに、所有している範囲で実物も展示する。また、耳かきに関連するものとして、江戸時代の「耳垢取」や、現在のインドの耳掃除屋、耳かき付きかんざしについてもパネルで紹介する。最近の新型の耳かきについても、若干触れてみたいと思う。日本では、耳かきは、各地で観光土産として必ずといってよいほどよく見られ、一家庭に必ず1本はあるというくらいなじみの深いものである。これほど耳かきが広く普及している国はほかにないだろう。 しかし、身近すぎるあまりに我々は普段耳かきについてあまり深く考えることはない。しかし、詳しく調べていくと、今から3000年以上前の遺跡である中国の殷墟からも玉の耳かきが出土していることなど、今まで知らなかったような事実をたくさん得ることができ、興味深いものであった。この展示では、いろいろな耳かきに触れ、ふだん何気なく使っている、ごく身近な日用品である耳かきのことをもっとよく知ってもらいたいと思う。
 
2.解説パネル
耳かきの素材

 耳かきの素材については、木や竹が一般的であるが、ほかにも探してみると、いろいろ変わった素材がある。出土遺物の中にも、主に墓の副葬品としていくつか耳かきの出土例があり、その素材も様々である。
 
○竹・木
 現在、日本で見られる耳かきは、ほとんどが竹や木の耳かきである。竹や木の耳かきの場合、素材自体に装飾性がないためか、先に飾りのついたものがほとんどであるが、この飾りは非常に多種多様である。
 竹の耳かきは、適度な硬さと弾力性を持ち、素材としては最も耳掃除に適したものであるといえるだろう。最も基本的で実用的な耳かきは、竹の柄の先にフワフワした毛のついた形のものである。この毛の部分を「凡天」といい、普通水鳥の毛が使われている。
 木の耳かきは、ツゲ製のものが多い。日本では長屋王邸跡から木の耳かき(※留釘の一種である可能性もある。木の種類は不明)が出土している。
 
○金属 【金・銀・銅・鉄】
 金や銀の耳かきは、装身具の中の一つとしてよく見られる。
金の耳かきは、三国呉の高榮墓から反対側に妻楊枝のついたものが出土している。また、広西省貴県羅泊湾1号墓からも出土している。
 銅製は陜県劉家渠3号東漢墓や、南京明代呉禎墓などから出土している。また、四川省銅梁明張文錦夫婦合葬墓からは、柄が銅・本体が銀のものも出土している。
『清異録』に、「宰相・杜★(杜★は唐・武宗時代の宰相)は、“耳匙”のことを“鉄了事”と呼ぶ」とあり、これは鉄の耳かきを指していることが分かる。
 
○骨角類 【骨・鹿角・鼈甲・魚の尾】
 骨の耳かきは、山東省益都蘇埠屯大墓や、河北省燕下都郎井村10号作坊遺跡などから出土している。鹿角の耳かきは奈良県、鼈甲の耳かきは長崎県で、それぞれ土産物として売られている。また、魚の尾の耳かきはカツオの尾の骨の部分を削って作られたもので、福島県にあるらしい。その他、象牙のものもある。
 これらの素材の耳かきは、当たりが柔らかく適度に弾力もあるため、耳に優しく安全である。
 
○玉
 今から3000年以上前の、河南省安陽の殷墟婦好墓(婦好は殷王武丁の妃)から、玉の耳かきが2本出土している。この耳かきは、魚の形をしたもので、先の部分が細くなり、その先端が耳かきになっている。デザインや彫り方の精巧さから見て、すでに完成された形であり、さらに古い発展段階を経ていることが推測できる。殷墟では、婦好墓のほかにも小屯村の墓からセミのデザインのものが出土している。先端には穴があいており、紐が通せるようになっている。その他、陝西省雍城秦公大墓の主槨室からも黄色っぽい玉の耳かきが出土している。
 
○その他 【紙・プラスチック・ゴム】
 これらの素材の耳かきは、最近見られるようになったもので、あまり一般的ではない。
 紙の耳かきは、使い捨てタイプのもので、反対側に綿棒のついているものもある。展示の耳かきは、ホテルの部屋に歯ブラシなどと一緒に備え付けてあったものである。
 プラスチックの耳かきは、耳の中を照らすライトのついた耳かきにはプラスチック製のものもある。展示の耳かきは、ガチャガチャで買ったもので、頭の部分を押すとライトが点く、という造りになっている。
 ゴムの耳かきといっても、使った感じはプラスチックのようである。ただ、プラスチックよりは少し柔らかく、弾力性もある。
 
耳掃除屋について
 街頭で耳掃除をする商売がある。日本でも江戸時代には「耳垢取」という商売があった。落語でも耳垢取屋が出てくる話がある。その中では、使う耳かきに松・竹・梅の三つのランクがあり、松は金の耳かき、竹は象牙や銀の耳かき、梅は釘の頭というものである。山東京伝の『骨董集』に、貞享頃の江戸の“耳垢取、紺屋三丁目長官”、同じ頃の京の“耳垢取、唐人越九兵衛”などの名が見られる。正徳版の『老人養草』に、“近来京師の辻ゝ、耳垢取とて紅毛人のかたちに似せて云々”とあるように、服装は唐人姿のほうが多かったらしい。元禄末・正徳の頃まであった商売のようである。
 インドにも耳掃除屋がある。インドの耳掃除屋は、制帽ともいえるような薄手の緋色のターバンを巻いていて、そこに3、4本の耳掻きを差している。普通は、客と路上に座り込んで耳掃除をする。
 “耳掻き男は、帽子と額の間に差した長めの耳掻き棒を取って、いよいよ僕の耳を攻略しはじめた。ところがである。まったく触れている感じがしないのに、彼は一掻きで直径3、4ミリのボール状の耳垢を手品のように取り出したのである。(中略)大英帝国時代の建物の壁に1、2、3、4と並ぶ僕の耳垢玉。(中略)どうも人間の耳の中には耳垢の巣なるものがあって、俗人には容易にそこに達することができないが、彼らだけはそこに達することができるのではないか……”(『インドの大道商人』より)
 
耳かき付かんざし
骨董品として売られている古いかんざしの中には、先端が耳かきになっているものがよく見られる。いつもはかんざしとして髪に挿していて、耳が掻きたくなったらいつでも抜いて使えるのである。実用と装飾を兼ねた優れものである。昔の人はよく考えたものだと思う。耳かき付かんざしの起源を記したと思われる記述が、『嬉遊笑覧』巻一下・容儀に見られる。そこには、“高橋図南老人は御厨子所預若狭守紀宗直といふ人なり、若かりしほど北野に開帳ありしに或商人の高橋家に立入しに図南それに教えて、釵に耳かき造りそえなばはやるべしといはれける、故にやがて作り出しつるに果たしてよく售ぬ、それより世に普くはやりたりといふことを、屋代輪池翁その家にて親しく聞れたりとぞ……”と書かれている。これによると、耳かき付かんざしを発明したのは高橋図南老人という人物である。図南老人は宝永の初め頃元禄の末頃の生まれで、若い頃は享保年間であろうとされ、また、“「我衣」に享保頃よりかんざしと名付ける物上耳かき下髪かき銀にて作るとありて……”とも書かれている。この形のかんざしは、江戸の享保年間に始まったものであることがわかる。
 前記の呉の高榮墓出土の耳かきは、もう一端が妻楊枝になっているものであるが、耳かきあるいは楊枝として使うだけにしては24.5cmと長いため、かんざしとして髻にさしていたのではないか、とも考えられている。中国の清代に書かれた小説・『紅樓夢』第二十八回にも“鳳姐站著、著門檻子、拏耳子(=耳かき)剔牙……”という記述がみられる。日本においてのみでなく、中国においても、耳かき付かんざしは一般的だったようである。
 
新型の耳掻き
 「耳かき」というと、中国語では「耳勺」ともいうように、棒の先が小さい勺状になっているものが一般的である。中国の出土遺物を見ても分かるように、素材は様々であっても、基本的な形は、起源前の殷墟の耳かきから現在のものに至るまで全く変わっていない。このことからも、勺の形は耳垢を掻き出すのに最も適した形であることが分かる。ところが、最近、新しい形の耳掃除道具がある。
一つは、円盤状のものを重ねあわせた形の耳かきである。耳の中で引っかかることがなく、なかなか快適である。最近、所どころで見かけるようになってきた。
 もう一つは、火を使って耳垢を取る、という、「耳掻き」の行為から離れた耳掃除道具である。これは、イタリア製の耳掃除道具で、「ベンチュリー効果」という原理を利用したものである。ロウなどでできた円錐形の筒(長さ15cm くらい)の直径5mm程度の端を耳に入れ、もう一方の端に火をつけて燃やす。燃焼する際、耳の中の酸素を使うため一緒に耳垢が吸い取られ、筒の中に付着する、という仕組みになっている。
 
3.参考文献一覧
『中国文化のルーツ』(東京美術・人民中国雑誌社共同編集、郭伯南ほか著)
『漢代物質文化資料図説』(孫機著・中国歴史博物館編輯、文物出版社)
『長屋王邸跡』(奈良国立文化財研究所)
『広西貴県羅泊湾漢墓』(広西壮族自治区博物館編、文物出版社)
『トルクメンの装身具』(ヨハネス=カルター著、ポーラ文化研究所)
『殷墟的発現与研究』(中国社会科学院考古研究所編著、科学出版社)
『殷墟婦好墓』(中国社会科学院考古研究所編著、文物出版社)
『ガラクタ道楽』(林丈二、小学館)
『骨董集』(山東京伝・「日本随筆大成」第1期・15、吉川弘文館)
『兎園小説』(滝沢馬琴・「日本随筆大成」第2期・1、吉川弘文館)
『定本 江戸商売図絵』(三谷一馬・立風書房)
『インドの大道商人』(山田 和・平凡社)
『江西南昌市東呉高栄墓的発掘』(「考古」1980.3、科学出版社)
『四川銅梁明張文錦夫婦合葬墓清理簡報』(「文物」1986.9、文物出版社)
『南京明代呉禎墓発掘簡報』(「文物」1986.9、文物出版社)
『安陽小屯村北的両座殷代墓』(「考古学報」 1981.4、科学出版社)


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