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出雲を訪れて
「雨の出雲」
参加記
参加記
  佐藤 友紀
北村 梓
鈴木 敦子
上野 祐加

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出雲を訪れて
島根県立古代出雲歴史博物館を訪れた日は雨が降っており、山から雲が立ち上っていました。まさに出雲の名を表すような光景でした。この悪天候のおかげで出雲大社参拝には苦労したし、本殿もあまりキレイに見えなかったのも事実ですが…
歴史博物館は今年三月にオープンしたばかりの新しい博物館で、昔の出雲大社を支えていたという宇豆柱(うずばしら)がロビーに展示されています。これは撮影が許可されていて、来館者は皆撮影していました。この柱はとても太くて古代の出雲大社がとてつもなく大きかったのだという復元予想にも納得しました。
私が事前学習で調べたのは出雲神話についてだったのですが、この博物館には神話回廊があり記紀神話と出雲国風土記の出雲神話を紹介しています。特に神話シアターでは、三方向に映像を映し出してアニメーションで神話の世界に触れることができます。シアターはいくつかの神話のうちひとつしか上映しないので見たい神話が見れない!と残念がっていた私ですが、シアターで見れなくてもシアターの近くにある部屋のパソコンで見れるようになっていて自分の見たい話を選んでみることもできました。神話の世界に思う存分浸ることができて満足でした。
他にはあの卑弥呼が魏に使いを送って賜ったとされる「景初三年」銘の銅鏡や、加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸が展示されており古代の遺物を実際に目にすることができました。また、古代の出雲の人々の生活の様子を出雲国風土記をもとに復元した展示もあり出雲の生活様式の移り変わりを知ることもできます。
今回博物館を訪れたことで島根、特に出雲の歴史を知ることができたし出雲神話についても様々な角度からのアプローチがあるということがわかりとても良い経験になりました。
島根では石見銀山が世界遺産に登録され、博物館でも企画展を行っているのでまた是非行ってみたいと思います。
(佐藤 友紀)

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「雨の出雲」
 学外実習で出雲に行きましたが、ちょうど梅雨時期。三日中二日は雨、外の風景も霞がすごすぎてよく見えない。しかし、晴れたときに見えた山から雲が沸き立つところは絶景でした。
  二日目に月山冨田城跡に行きました。山を登るだけでも大変なのに、雨のおかげですべらないように登るのに苦労です。天然要塞のすごさ,山に建てられた城の攻めにくさを体感しました。
  印象深かったのは古代出雲歴史博物館。事前学習の際に荒神谷遺跡から今まで遺跡で発見されたものと比ではないくらいの量の銅剣が出土したのは知っていましたが、その銅剣が古代出雲歴史博物館に展示されています。展示室に入るとかなりの量の銅剣が眼前に広がるので圧倒されました。友人とすごいねー、しか言ってなかった気がします。よく昔にこれだけ集めたものだと思いましたね。出雲にこれだけの銅剣が集まるなんて、この地域に不思議な魅力を感じます。出土した遺跡の方にもちょっと行ってみたかったです。
  やっと晴れた三日目に松江市の松江城に行きました。政治をするため平地にあるだけあって、平城が山城と全く違うことを身をもって知りました。昔の階段の造りは今と比べて急なものが多いです。場所をとらないように工夫されて造られていると思いますが階段を上り下りしていて、きっと昔の人も急いだときは転げ落ちたに違いないと確信しました。
  松江城のてっぺんは高所恐怖症のものにはありえない高さです。てすりに近づこうなんて思ったら足が震えちゃうんだよー。友人に「写真に撮ってもビルばっかだしなあ」と言われて確かにそのとおりだと思いました。遠くまで見えたのは感動でしたが、見える景色がどこを見ても同じだったことが残念です。
  今回の学外実習では集団行動のときの節度などをあらためて学びました。自由がきく分マナーや培ってきた常識が試されてるとおもいました。ようするに五分前行動は大切ですよね。
(北村 梓)

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参加記
自分の事前調べのテーマが出雲大社であったことと、以前から1度も行ったことがなく、是非1度は行ってみたいと思っていたこともあって、2日目午前に行く予定であった出雲大社はとても楽しみでした。
当日は残念ながら雨でしたが、個人的には楽しいものでした。床というか、地面に私が調べた昔の出雲大社本殿の柱の図が描いてあったことや、復元模型があったのでそれを見ることによって、自分が頭の中で知っていただけの知識だったのが、一気に現実になって現れたような気がしました。自分が事前調べで1番力をいれていた事柄は、多分出雲大社の建築についてでした。だからでしょうか、図や模型を見たときは、嬉しくもあり、また同時に自分の約1ヶ月の苦労が報われたような気もしました。
ただ少しだけ本音を言うと、本殿が遠くからしか見られなかったことが残念でしょうか。あと何か神事をしていたのですが、それが見られないのは正直けち臭いなとも思わないこともなかったです。
その他にでは、月山富田城に登ったことでしょうか。雨の中傘をさして、靴の中がビタビタというよりビチャビチャになりました。苦労したためよく記憶しています。最初は雨が降っていたため登らないつもりでしたが、その場の何となくの気まぐれで登ることにしてしまいました。その決断を後悔しなくはありません。でも登らなかったなら登らなかったで、多分後から後悔するんだろうなと思います。「せっかくの機会なんだからやっとけばよかった」と思うのは分かっています。だからやらないで後悔するよりはやって後悔したほうがよいとありきたりですが思うので、登ってよかったと思います。
最後にM氏協力により描かれた「ヤマタノオロチ」を表紙裏とはいえ採用したことに、笑いと共に敬意を表します。
(鈴木 敦子)

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参加記
 はじめてのゼミということで、初めは何をすればいいのかわかりませんでしたが、調べるにあって、今とても興味のある城郭についてこれでもかというほどどっぷりと浸れることができ、とても良かったと思いました。
  私の担当した松江城は、二日目に行った尼子氏の山城・月山富田城とは、相対する城で、富田城に入った堀尾氏が、城下町を形成する近代の城郭としては機能しにくいと考えたために松江に築城させた城であるので、実戦のための富田城、支配のための松江城、という比較が非常におもしろい点でした。
  実際の山全体が城となっている富田城攻略は、険しい道を一列になって上らなくてはいけなかったりと、山登りに近い形でした。しかし、ところどころに広く大きな郭が出てきたりと、そこにちゃんと人の手が入っている、と感じさせる場所も多くあって、ここに城を築き、数々の防衛の設備を仕掛けて、守り抜こうとした戦国の人々の思いに触れ、胸が熱くなりました。そんな先人の知恵の結晶である富田城も新たに泰平の時代を担うことになり、堀尾氏によって捨てられます。理由は城下町が作りにくいということでしたが、たしかに、帰り道から眺める広瀬の町は向かいの山がとても近いため、大量の人々を抱えるには狭く見えました。それに比べ、松江城は遥かに広い平地が広がっていますし、周りに高い山もなく他の勢力に攻め入られる心配もなく、なにより宍道湖からの豊富な水が堀をめぐらせます。ここを選んだ堀尾氏はさすがだと思いました。
  さて、事前に調べ、少ない資料から「攻め方」を構想して、とても楽しみにしていた松江城ですが、こちらは前日に攻めた富田城とはくらべものにならないくらい攻め込みやすかったです。あっという間に天守まで入れてしまいました。近代城郭は一応要塞としての機能は残っているものの、「合戦」というよりも藩主の権力誇示の意味合いが強いため、装飾性に優れていて、石垣や、天守はさすが重要文化財に指定されているだけはあって、創造していた以上に美しいという形容詞が似合います。時間が少なかったため、天守と、そのごく近場を攻めるので精一杯でしたので、次回はもっとじっくり城内を見て回るとともに、T先生にツッコまれた、天守までの攻め方をじっくりと極めたいと思います。
(上野 祐加)

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