平安京の風景
執筆者:滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科助教授 京樂真帆子
平安京の空にウグイスも鳴いたであろうが、カラスは確実に鳴いていた。
王朝文化と呼ばれる華麗な貴族文化は、平安時代の一側面に過ぎない。多くの民衆を一握りの貴族たちが支配していた階級社会においては、『源氏物語』の世界など目にすることもなかった庶民が都に多く存在していたのである。いや、貴族とて安穏に生活できたわけではない。万寿元年(1024)12月6日夜、花山天皇(在位:984〜986)の娘が強盗に襲われ殺害される、という事件が起こった(『小右記』同年12月8日条)。彼女は路頭で死亡し、その体は夜の内に犬に喰われてしまったという。犬と強盗、これは平安京が抱える最大の都市問題であった。
天延2年(974)5月23日雨の降る中、平安京西市に15人の男たちが引き出されてきた(『親信卿記』同日条)。衆人環視の中で重い鉄の足枷を付けられた彼らは、強盗である。都の治安維持をになう検非違使に逮捕され、民衆への見せしめとなっている。この検非違使の最末端に、放免と呼ばれる人たちがいた。放免とは文字通り、釈放された前科者のことである。アウトローとインローの狭間に位置する放免は、時には犯人逮捕に活躍し、時には自ら争乱を起こして平安京の治安を乱す存在でもあった。
強盗が活躍(?)するには2つの条件がある。まずは、盗むべきものが豊富にあること。平安京には全国から集められた税物が入った蔵が建ち並び、また、優雅に暮らす貴族たちもたくさん住んでいる。在地で搾取して私財を蓄えた受領の家は、特にねらい目であろう。まさに、お宝は京中に充ち満ちていた。次に、盗んだものを売りさばく市があること。平安京には東市・西市という公設市場もあったし、七条界隈は商人の町であった。山崎など京の郊外でも売買が行われていた。こうした条件を背景に、平安京では大内裏内の大蔵が強盗に破られ(『類聚国史』弘仁14年(823)11月22日条)、天皇のすぐそばで宿直していた藤原顕光(後に右大臣になる)すら衣を盗まれるのである(『親信卿記』天延元年(973)6月9日条)。
もっと頭のいいヤツは、これぞと見込んだ家に火を付ける。火事にあわてた家人たちが家の中から財産を運び出す。火を消そうとする人混みに紛れて、それをかっさらうのである。まさに火事場泥棒なわけで、平安京では、失火や愉快犯による放火だけではなく、強盗が目的を持って火を付ける盗火とでも呼ぶべき火災が頻発したのである。
この平安京の正門が、羅城門である。当時は「らいせいもん」と呼ばれていたらしい。この音から「来世」が想起され、仏教的観念と結びつくこととなった。中世以降「羅生門」と表記される理由はここにある。都の正門を高く壮麗に造ろうとする意図が徒となり、羅城門は台風に耐えることができなかった(『世継物語』)。記録によると弘仁7年(816)8月16日の夜、大風によって倒壊した(『日本紀略』同日条)。再建された門も天元3年(980)7月9日の大暴風雨で倒壊し(『日本紀略』同日条)、その後は再建されることなく朽ち果てていったらしい。治安3年(1023)藤原道長が法成寺造営に使うための石を彼に追従する人々が集めてきたが、その中に羅城門の石も含まれていた(『小右記』同年6月11日条)。この頃にはすでに建造物はなく、柱を支えていた土台の石のみを残していたのだろう。これでは、盗賊たちが羅城門をねぐらにする(という事実があったかどうかは記録に残っていないが)ことすらできない。
江戸時代に盛んに作られた京都案内地図(現在のガイドブックの走りである)の一枚に、「羅城門」と書かれたものを見たことがある。ご丁寧に門の絵まで添えてあったのだが、この地図を手に羅城門を見ようと京の街をさまよった人がいるとすれば、まことにお気の毒なことである。
この羅城門には、武装する守り神である毘沙門天像が安置されていた。現在東寺にある兜跋毘沙門天像(重要文化財)が、もと羅城門にあったものだという(『東寶記』)。上階層にあった、人間とほぼ同じ大きさの木像が壊れずに残ったとは、羅城門はどういう倒壊の仕方をしたのか気になるところである。黒澤明『羅生門』のセットが思い浮かぶが、現実にはああいう壊れ方はしないだろう。
平安京の諸施設を建設した専門家集団が、飛騨の匠である。儀礼を行うための施設、豊楽院がすばらしい建築であるのは、飛騨の匠が造ったからだ、と考えられていた(『今昔物語集』巻24第5話)。人が出入りすることで戸が自然に開閉する、いわゆる自動ドアを造ったと言われる程の技術を持つ彼らが、簡単に倒壊してしまう羅城門を造ったかどうかは定かではない。
さて、現代の匠・建築家たちが京都駅を作り替える時、羅城門の形で駅ビルを建てようという案があった。現在の都市域を無視して門で空間を区切るという発想は支持されず、この建築案は却下された。しかし、実際に作られた京都駅ビルは遠くからもよく見え、まさに羅城門の体を為している。さて、この羅城門はどういう物語を生むのであろうか。
※劇団昴公演『羅城門』(原作:芥川龍之介 脚色・演出:菊池准)
パンフレット・2004年2月6日発行・16〜17頁
※公表時の文章に、史料の典拠を付した
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