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知的に見えるミディアムセダンに乗る【座散会】
まだヨーロッパなのか!

同じクルマでも、知的に見えるクルマとそうでないクルマ、漠然とだが歴然と在る。

そのファクターはいったい何なのか。いや、そもそも知的とはどういうことなのか。

もはや高級さや速さだけではクルマは語り切れない。だからこそ原点に戻ってみる。

出席者:
館内 端

印南 比呂志

神谷 龍彦 (敬称略)

知的の意義は合理主義、
FFでミディアムが必須。

神谷 ズバリ、知的なクルマって存在すると思いますか?

印南 私は昔イタリアに留学してまして、先生がオペルに乗ってたんです。アメリカ資本でドイツで作ってるクルマに、イタリア人が乗るという背景から、知的だなと思いましたね。

舘内 知的とは何か?と考えると、まずヨーロッパの近代思想が出てくる。知性とは合理主義だから、合理が知的だと。アジアでは過剰も知的なら、質素も知的だったりするわけで、それはともかく、ヨーロッパの知性は堅固主義だから、神様とかオカルト的なものを削除して最後に残った物を知性とする。つまりFRよりFFの方が合理的だよね。生活の中に置いたとき、スペースユーティリティも高い。重量も軽いので燃費もいい。

神谷 FRにこだわる人は多いけど、じっさい乗るとFFでもいいと思いますね。

舘内 FRは個人的には大好きだけど、あれは熱狂、ファナティック。ハンドルから駆動力が解放されて乗り心地がスムーズでキックバックもない。つまり、FRの生きる道はファナティックか高級しかない。高級は民主主義や平等ではなく、むしろ差別化。知性から離れてる。合理ばっかりがいいとも思わないけど、大きさ感は大切。今まで日本車は大きさに力を注いできたから、バブル以降、過剰な見栄がなくなって身の丈サイズがいい、となってきた。

神谷 バブルは貴重な体験だったけどクルマって見栄の部分がゼロではない。合理性だけではつまらなくなりませんか。

舘内 デカさ、金持ちが過去の見栄なら、今の見栄は知性なんじゃない?だけど、知性ってなかなか身につくもんじゃない。クルマが知的なら自分もそう見えるはず。

印南 合理的という言葉は言い得て妙。都市建築でもヒトラーの時代に合理主義が流行って、その評価がまた復活してきている。ストイックとは違い、合理主義的な中から一つの哲学を生もうと。建築の世界でもルネッサンスの後バロックが生まれて、また合理性に近いものが台頭して。涜れ流れてる部分があります。クルマも反動でくる合理主義は、ストイックや単なる機能重視だけではなくなった。

キーワードは、俗でない
セカンドラインの大衆性。

舘内 合理も近代合理主義に変質してる。今までの合理は科学や数学で表すものだったけど、東洋の合理がヨーロッパに入って、自分たち以外のものを見直そうという気運が強い。逆に日本にも欧州の合理が入ってきた。日本の場合は工場の流れを「合理化する」になったけど。合理とは、理にかなったもの。それを東洋的に見ると、生態系の循環に合うという物ね。一見すると無駄でも生態系に無駄はない。ただ、日本人はファナティックでないと冷たい合理のように感じる。だから人気ないし、本来的な合理でないと。

印南 都市の中でも物を断片化していくと一つの絵になるように、クルマが増殖して一つの街の風景を作るとき、根源自身に歪みがあると、それが全体の歪みに見えたりします。で、いろんなものが交ざり合うとパワーのある都市が生まれる。そういう中で知的なクルマをベースとして、都市の風景に押さえたいと。常にフェラーリが走ってるのでなく。ヨーロッパは定量的が合理だけど、こちらでは定性的な部分を合理といいますよね。税制改革で3ナンバーの税金が下がる。すると、全メーカーの社長が10センチ平均クルマのボディを延ばしたとします。関東圏内で数百万台売れば、数百キロ道が足りなくなる。渋滞がどうのという話は、逆に日本では都市計画の中で解決していけそうな気がする。数値や価格的でない部分、気分で物を評価するモノ差しが生まれて初めて、このクルマが知的だ、乗ってる人が知的だといえる。そのクルマが走る街まで知的に見えるというのが夢かなと。

神谷 日本じゃ、ヨーロッパ的なカッコいい家を建てたくでも周りから浮くだけ。でも、建てたい。自分の意思と、見られたいという意識も含めてクルマが存在してる。

舘内 イギリスやイタリア行って夕暮れになると、メインストリートに人が三々五々出てきて、夫婦や恋人で歩いてる。着飾るというほどでなく、オシャレして。

神谷 クルマも着飾った高級車は違う。といってシンプルなだけではない。ニートな、相手に心地良さを与えるものがないと。そうして自分自身も楽しむ。

印南 最近、偉い人を集めて「街はどうすれば美しくなるか」という座談会やったんです。そうしたら、見て見られて育っていくんじゃないかと。感心したのは、たとえばワインですが、ボルドーのシャトーには必ずセカンドがあって、ラ・トウールに対してレポルド・ラ・トウールを買わずに必ずセカンドを買う。

ただし、それをわかってる人が見てないと選ばない。カメラもオートフォーカスをメカニカルなものにしたり。セカンドをあえて選んで自分を演出して、相手も知識があるから解析できる。見て見られて、それを解釈し合える者同士で知的が成熟される。

神谷 共同幻想でなく共同認識がないと成立しない。粋に西洋的なものが入った。

舘内 現代は粋が全部金に換算されちゃうけど、戦後50年たって、粋は見て見られる中で磨かれるという感性がようやく出てきたんじやないのかな。

神谷 自分を磨くのは時間もかかるし、労力もいる。だから楽にやるのはガワを固めることです。そういう方法論を持っているのはいいことで、クルマは一番簡単にカッコよく見せられるアイテム。

舘内 こんな便利な物ないよ。山崎正和が日本を「劇場国家」だと言ってて、何のことかと思ったら、見て見られてる国家だと。家は高いし持ち歩けないから。

神谷 では逆に、知的でないものは?

舘内 メルセデスのS600。権威や大きさとか、違うものを表現してるから。

権威と知的は方向性が違うでしょう。セカンドというキーワードが出てきたけど、メルセデスはファースト。セカンドは大衆なんだと思う。日本で大衆という言葉にあまりいいイメージないけど。

神谷 大衆と中流は違うと?

舘内 中流も大衆だけど、日本の大衆社会はあまりにも汚い。都内の幹線道路には汚い中古車店とファミリーレストランが山のようにあって汚れてる。だから大衆でも俗っぽいと知的に見えない。

神谷 平等って金科玉条みたいに言うけど、人間には平等を否定したい部分も必ずあるんですよね。

舘内 平等でも俗じゃだめ。トップじゃ平等にみえないし、俗でも下過ぎる。やっぱりキーワードはセカンドでしょう。

クオリティならアウディ、
155はラテンの知的。

神谷 ではアウディA4はどうですか?

舘内 デザイン的に華はないけど、派手でないところがいい。日本人の好きなファナティックな部分にも長けてる。

印南 フェミニンですね。角を丸く落としたというか、フィアットの四角い箱を、骨をそのままに丸くしたような、セダンのベースになるモデルという気がします。

神谷 ツルンとして人気のなかった80に比べると、かなりハリがありますよね。

印南 FFやFRに潜在的な主張があるとしたら、FFの主張がありますね。高速道路や駐車場がある街の風景の中で、いかに素直に見えるかという視点に立つと、アウディは非常に均質的でクオリティも高い。ところでプジョーはない?

神谷 プジョーはすでに406が出てますが、まだ日本では買えない。

舘内 ルノー・ラグナはピンとこない。言おうとしてることが鮮明じゃないんだな。だったら405でもいいと思う。406は艶やかでキレイだけどつまらない。

神谷 306に乗ってる人って、賢く見えますよね。クルマわかってるなって感じで、だけど無理もしてないなと。何でそう見えるのかわからないけど。

舘内 もう少し値投が下がるとすごくいい。でも、306クラスのいいクルマが日本に皆無なんだよ。なんかいいクルマないのかな、というジャンルに登場した。

印南 デザインが巧いと思うのは、3つの面がぶつかるあたり。昔から日本人は3つの面をうまくつなげることができないと言われているんです。

舘内 シトロエン・エグザンティアもいいね。大きさも、洗練された乗り心地も。エンジニア的知性を刺激するようなサスも付いてて、僕はこの中じゃ一番だな。

日本の風景に合わないのは残念だけど。

印南 僕はちょっと。トンガってるのはフランスの知性なんでしょうけど、GSの方がファミリーにも通勤にもいい。

舘内 サーブ900はちょっとマニアック。アルファ155は良くなってきてるね。最初はドアがガタガタだったけど。

神谷 イタリア車はデザインがアグレッシブだけど、日本に合いますか?

印南 アルファはいいと思いますね。比較になりますが、75ツインスパーク、164ときて、155が出た。新鮮に感じましたね。164がヴァレンティノっぽいから、その後で知性が際立った。

舘内 ボルボの850は機能的過ぎて合理に見えるのが気になる。新規のトライアルをたくさんやってるけど、完成度が今一つ。知的の切り口では成熟も必要だから、その部分で足りない。

印南 テールランプの大きさがダメですね。光りモンはちょっとついてればいい。

神谷 安全性のイメージが強いけど、知性と安全に関わりはありますかね。

舘内 今の安全は対社会性とか、生態系も含めて地球全体の安全に広がってる。自分だけが助かる安全じゃ知的ではない。

神谷 その辺を反省したのがメルセデスですよね。Eクラスはデザインも意識的に弱く見せて、事故では相手の安全も考えようとフィロソフィーも変わってきてる。で、Cクラスはどうですか?

舘内 Cクラスは使う人にとってはいいクルマだと思う。メルセデスは力で攻め込んで行くタイプ。知性とパワーは相性が良くない。

印南 最近は日本でもメルセデスと呼ぶ人が増えて、少し紳士になったかな。僕の周囲ではブルーカラーの成功した人が乗ってるというイメージが強い。

舘内 ヨーロッパでも、ドイツ本国ではエグゼクティブは全部ベンツ。そのイメージが外国では成り上がりなのかな。アメリカでもヤッピーが乗ってたけど。

神谷 ローバー600は?

舘内 悪くないけど、少しガサツ。内装は、割に落ち着いてるし、良きイギリスの中級かなとは思いますよ。

神谷 日本の自動車評論家はイギリス好きでジャガー乗ってるけれど、本来イギリス人ってすごい質素。お金があっても質素で。ライフスタイルとか生き方の問題もあるけど、知性には伝統的な部分もあるかなと、どうですか?

舘内 日本は美しさや伝統という方向には行けなかったのが残念。ターボや4WSだの付いてるクルマはダメだな。みんな過剰で余計。ローバーはホンダのメカだけどイギリス的に何年も使えそう。

存在が知的でない国産車、
新しい価値観は地域性に。

印南 国産の中では、オペルに似でるけどプリメーラが好きです。レガシィは水平対向エンジンの音が知的じゃない。

舘内 私は国産ではレガシィ。日立たないから。後はプリメーラ。でも、モデルチェンジでダメだね。新車効果が4カ月でなくなるのはひどい。ベクトラに華はないけど素直だし、生活のなかではこっちの方がいいのは歴然。怖いのはプリメーラ買った人は本当はベクトラが欲しかったんじゃないかと。割に低価格で入るようになったし、プリメーラの価格上がって接近したらみんな本物取りますよ。

神谷 これ以外に国産で知的なのは?

舘内 アコード。見た目も悪くないし、ほどほどにこなれてる。

印南 アコードはいいと思います。あと、ハードトップはあまり知的でない。ドアにフレームがないと厚くていかにも成金ぽい。

舘内 ハードトップはまさに日本的。大きさを求める日本車が、3ナンバーをイメージしてボンネットとトランクを長く、キャビンを小さくしたのがハードトップの背景。これぞ俗の典型でしょう。でも、日本の自動車はそれ自体知的ではない。難しい論議だけど、日本の自動車産業が生まれた背景には富国強兵、産業立国がある。産業が大きくなるためには消費者の絶大な支持が欲しかった。どんどん買い替えてもらって利益上げて世界に出て行く。日本のメーカーにはクルマを売ること、拡大していくことしかない。

神谷 そこが日本車がだめな理由だと。

舘内 日本で生産する根拠は何か?と考えればメシ食うため。それは悪くないけど、単なるメシは単なる合理と同じ。メルセデスだって自分たちが長く食うために対社会、ユーザー、イメージを考えてる。売れればいいとは考えてない。

神谷 でも2000年には100万台を掲げて、商業主義に陥ったと見えますが。

舘内 そうさせたのは日本。日本、米、欧と自動車産業の資本主義はそれぞれ違う。日本とアメリカは同じく拡大膨張主義、大量生産、大量消費で。しかしヨーロッパには枠の中での棲み分けがあった。メルセデスは60万台で、フィアットは小さいクルマを作るとか。ところがアメリカは金があれば鉄道まで買ってしまう。ヨーロッパは鉄道は公共だと。メルセデスが日本的になったのはやってけないと認識したからだ。

神谷 そのきっかけがレクサス。あれがベンツの市場にやってきて、意外に評判がいいし売れるのでメルセデスは焦った。

舘内 ベンツのそっくりさん作って性能も品質も同じものを並べれば安い方がいいに決まってる。メルセデスの特異性を考えると技術しかなかった。技術は1+1が2になるから、やがて到達できた。

神谷 それなら日本もすぐ凌駕される。そこで、これから期待できるのは知的なクルマ作りしかないと。その点ではヨーロッパの方が上ですか。

舘内 デザインではヨーロッパ。

印南 デザインには、地域性が一つある。部品を鹿児島で作っても北海道で作っても日本中から集めて、一つの物を作る。ある地域でできる物の中で需要と供給のバランスがある、という世界ではなく、日本中どこ行っても何作っても同じ。ヨーロッパもそういう状況だけど、思考に地域的なアイデンティティがある。日本ではアイデンティティが消えないと世界に出るのに矛盾が起きる。日本車はもうウイルスですよ。

舘内 フィアットはイタリア、メルセデスはドイツからしか出てこない。ところが北海道でも九州でも同じものができる。明治になって標準語が定められ、経済の交流が効率的だし生産力も高まるからと、地域性にブルドーザーをかけた。だけど大量消費がここまでここまで定着すると、行き場がなくなって、逆に地域性の方がいいと。物涜的にもエンジンを九州で、サスを北海道で作って横浜で組み立てるなんてバカげてる。本来、北海道で作るのが一番だから、その意味での地域性もある。

神谷 ところで、日本のメーカーでクルマに知的な要素を取り入れてるのはホンダくらいじゃないかなと思うんですが。

舘内 ホンダをマニアックだと評価する人は多いけど、実はあそこは生活屋さん。それを象徴しているのがオデッセイ。マンマキシムでメカミニマムで。つまり生活思想でしょ。ホンダにはスーパーカブとオデッセイしかない。本田宗一郎は生活の中にピシャツとはまり込むものを作ってきた。これは知性だよね。

神谷 でも、生活そのものが知的でなければムダですよね。

舘内 ただ金稼いでりゃいいってもんじゃない。そういう意味でホンダは知性あるよね。他はみんなトヨタになりたがってるから。あるカテゴリーできちっと作って、文化的な味付けしてお客さん確保してるのはスバルくらいだよ。

神谷 現時点、輸入車は僕らクルマ好きにとって魅力あるな、という気はする。

舘内 いずれにしろ地域性のあるデザインでないと。今のヨーロッパ車を日本で見るのと同じょうに。あとは走り系も、環境的にすべてダメ。

神谷 そうなると快適でデザインが良く、成熟を感じさせるようなクルマが知的ということになる。

舘内 そういう価値観、もうすぐ日本にも入ってきますよ。とりあえず手本はヨーロッパです。

 

神谷龍彦  本誌編集長

印南比呂志   GK設計・室長

環境デザイナー。1960年、高知県生まれ。生活環境に関わる全ての領域においてデザイン活動を行なっているGKグループに所属。都市再開発などに参画する。クルマも大好き。

 

舘内 端  自動車評論家

自動車評論家。1947年、群馬県生まれ。レーシング・エンジニア出身。趣味は幅広く、近年はスキーに凝っている。専門誌のみならず各誌やTVなどで幅広い評論活動を展開している。

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