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見栄と合理精神の車 FIAT500

 「この程度のてりじゃあ、そこいらの娘はひっかかんないぜ」チンクエチェントのフェンダーを撫でながら、スカピンは首を振った。スカピン、披は我がアパートの大家であり、同居人であり、そして隣の古ぼけた力ロッツエリアの主人でもある。

 2週間程前、披から廃車になったチンクエチェント5台を譲り受け、彼の助手ゾロを拝み倒して、一台のチンクエチェントを作り上げる作業に取り掛かった。エンジンは一番力強い噛り声をあげる1964年式のものを使用。ボディは年式不詳で旧FIATマークを鼻に付けた一番顔つきの良いものを選び出す。エンジンが降ろされ、シートが外に放り出され、フロントガラスまでもが外されていく。裸にされるがままになっているチンクエチェントを眺めていると、幼少の頃、時計やラジオを分解して隠された形をのぞき見しようとわくわくしていた自分が、そこによみがえっていた。

 分解された部品には、ひとつひとつ完成された形があった。それらの優劣をプロの眼で5台の中から選び出していくゾロの手捌きを見よう見まねで、シンメトリーの半分をつなぎあわせていく。ボディはパテ埋め後、ほとんどクレイモデルの様な塊から元の形を削り出していく。これが一番骨の折れる作業となった。アパートの他の同居人達も駆りだしての悪戦苦闘の末、本来のチンクエチェントの影が現れた。スカピンの悪友の塗装工が駆けつけ、見る見るうちに、卵のような真っ白いチンクエチェントに変身させた。これは、はんの小手調べと、2度目の塗装がかけられる。短気な私は、早速マスキングを剥がそうと手をかけはじめていた。

 そこに、スカピンが現れ「このてりじゃあ……」と首を振ったのだった。

 という顛末から、私とチンクエチェントの関係は始まった。

 ダンテ・ジアコーザは、前身のトッポリーノをさらに改良し、1957年イタリアの国民車として究極の移動体、空冷横置き2気筒4サイクル18馬力、リアエンジンのヌオーバ・チンクエチェントを発表した。全長3mにも満たないこの小さな空間に目一杯荷物を乗せ、カーブではフルスロットルでお尻を滑らせながら走ることを義務づけられ、車と車、建物と人波の隙間をやかましく通り過ぎることに何の疑問も抱かせず、中に座る人間が大きくたくましく、輝いて見える車。そんな車が国民車として現れ、そして30年を過ぎた今もなお、現役で頑張っていること、これがイタリアの奇蹟といわれるものの正体なのかもしれない。

 恥も外聞も捨てた、機能一点張りの合理精神と、てりを気にする見栄とが共存するデカダンスなイタリア車文化、その中で留学生活の.2年間、様々な経験を共にした我がチンクエチェントも、現在はスカピンの元で、純潔イタリアーナとして活躍していることと思う。

●印南比呂志

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