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SA サマーセミナーレポート

今夏の韓国はさまざまなワークショップが開催され,学生,社会人共にのんびりとした余暇とは無縁の熱い夏であった.SAスクールは昨年の第1回済州島に続いて第2回目のワークショップを全羅北道の内陸都市茂朱で開催した.この学校は20数年前に建てられた故金壽根の空間社のホールを間借りして一昨年開校した.韓国現代芸術文化の発祥ともいえるこの場所に居を構える学校の姿勢はいうにおよばないだろう.

街イベントとしての戦略

今回のワークショップは約30名の講師と53の大学かち建築を主としたデザイン,アート系の学生113名が11のスタジオに分かれての競技設計方式のものであった.茂朱町から支援を受け韓国固有の街のアイデンティティを探ることをテーマに徴兵生活のごとき1週間が皆を待ち受けていた.倉庫の一部やプールサイドの更衣室,食堂の片隅などが各スタジオに割り当てられ,毎日の講義は結婚式場を利用するなど忍耐と従順さが必要なイベントとなっていった.講師陣は,アメリカ,ヨーロッパなどの留学組から,国内純粋培養組,故金壽根の空間社で鍛えられた金恒,承孝相,閔賢植,李鐘らアトリエ派の建築家によって進められた.乳児を連れた若手女流建築家たちの参加は女子学生にとっては頼もしい存在であった.街頭調査,午前午後2回の講義,朝まで続くミーティングと製作,これだけでも大変な中での,スタジオ対抗水泳大会.こんな体育会系序列社会を冷めた目で見る参加者は皆無であった.開催1カ月前から国内に散らばる自分のスタジオの学生たちとインターネットで連絡を取り合って,茂朱到着第一声でワークショップ終了宣言をした金仁喜や精巧な街の地形模型を愛用のステレオセットと共に携えてきた金瑛攣,ロンドンでの教鞭を終えジャガーでかけつけた承孝相.開始直後からスタジオ同士の牽制は始まっていた.わがスタジオはというと,何の準備もないまま観光気分で釜山からのんびりとやってきてしまった私と催旭とのかけあい漫才的な出だしに学生たちには不安の様相がはっきりと見てとれた.これだけの規模のイベントがこの片田舎で行われていることを地元のジャーナリズムも放っておくわけがなく,新聞や雑誌,TVなどの取材が開始直後から訪れはじめ,にわかに街はイベントの様相を呈してきた.これは街とSAが仕掛けた一種の戦略だったのかもしれない.1万人足らずの街で突如として若者が大挙して街頭インタビューを始め,文房具店やコピー屋はパンク寸前になり,喫茶店や飲み屋もしかり,街に活気が蘇ってきたわけである.連日行われる講義も興味深く,特に映画評諭家でもある逍成龍校長はC.マーカーやM.アントニオーニの作品を上映して刺激的な時間を過ごさせてくれた.ある朝,おとなしい彼が興奮して話しかけてきた.今朝早くインターネットでアマゾンコムのオークションに参加してブレッソンの稀少なビデオを競り落としたとのこと.彼のライブラリーがまた増え,それと共にSAでの講義がひとつ増えたわけである.そうこうしていても学生たちはいつ寝ているのか不思議になるほどのバイタリティと明るさを失うことはなかった.

楽天的なアイロニー

最終日には早朝から評論家を中心とした審査員たちが到着した.1日をかけた各スタジオのプレゼンテーションが参加者全員を集めて行われた.2010年の冬季オリンピックに立候補しているこの街には,工事途中でスラブ剥き出しのままで放置されている巨大な集合住宅群や活気のない市場など,現在の韓国経済を象徴するような景観が席巻している.しかしこれまでのように箱の容積をむやみにつくり出したり,広大な面や長いラインの開発を目的とした公共事業に彼らを加担させようとしているのではない.参加者もそれほど愚かではない.撤密な調査と分析,そして結果としての提案にはさまざまな解答が用意されていた.都市,環境,プロダクトデザイン,イベントプログラムといったさまざまな視点でハード,ソフトを含めたものが構築されていた.つくる,建てるということが最終日標となってしまっていることへのアイロニー,つまり現在に至ってしまった韓国社会経済へのアイロニーが垣間見えることとなった.たとえば,伊東豊雄事務所に在籍していた雀文奢のスタジオは詩の朗読を主としながら,街の「ハレ」と「ケ」のシナリオを優美に披露した.M.ボッタ事務所に在籍していた韓晩元のスタジオは河川の中に新たな自然共生の景観をみごとに表現してみせた.これらに続くすべての提案には,ざっくりとした楽天的な世界観と共に情報,自然,伝統,風水,美意識との葛藤が表れていた.短期間のワークショップでは往々にして,エゴイスティックな抽象表現に逃げて,知ったかぶりしてしまう族が普通はいるものだが,これだけ街の現実と日常にどっぶりと浸かって作業をしていると,無意識にそのような姿勢から遠ざかる結果となった.審査会での参加学生のひとりの言葉が印象的であった.「私たちは朝昼夜となく街を駆け抜け,徘徊し,街に溶け込み,街そのものになるために、結局この1週間でソウルにたどり着ける程の距離を歩いたのかもしれない.」この言葉は,今回のワークショップが空調管理された空間での机上の夢想では得られない,ものの創造に対する真筆で謙虚な姿勢を彼らに気づかせたことを物語っている.この成果は9月にソウルと茂朱,両市で展覧会として−般に公開された.

 

いんなみ・ひろし/1960年高知県生まれ/1983年筑波大学卒業後,GKインダストリアルデザイン研究所,GK設計在籍/1986年〜88年ヴェネチア建築大学イタリア政府給費生/1997年印南総合計画事務所

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